緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

夫からもらった栗

2018-09-25 10:04:48 | ヘミシンク
 夫の実家には夫が小学校卒業記念にもらった丹波栗の木がある。私は桜の木をもらったのだが、なんかの時に木が折れて倒れてしまった。夫の栗の木はかなり大きくなり毎年たくさん栗の実を付ける。そして、夫がほしかったらあげると栗をいっぱい持ってきた。半分くらいは圧力鍋でゆでて私が食べてしまったので、遊びに来た夫に少しは食べたかったのにと言われてしまった。残りの半分は今鬼側を向き途中である。全部剥けたら栗ごはんと栗の甘露煮にして、甘露煮はお正月の栗きんとんの中に入れようかと思っている。栗きんとんや黒豆は毎年作っても半分以上捨ててしまっている。昔はあまいものはごちそうだっただろうから、残ることなんかなかったのだろう。栗きんとんも残してダメになっているのがたぶんまだ冷蔵庫に少し残っている。何かそういうものを潔く捨てられないところが私にはある。栗ご飯は夫は嫌いだから作っても食べないらしい。何個かまた栗を茹でて味見できるようにしておかなければと思う。

いろいろ考えさせられた「国際市場で逢いましょう」

2018-09-24 09:00:10 | ヘミシンク
 作り事のドラマにちょっと食傷していた。少しはリアル感があるかなと思いギャオの「国際市場で逢いましょう。」を見た。朝鮮戦争時の興南撤収の際、主人公ドクスは避難する船によじ登ろうとしていて、背負った幼い妹を下からしがみついてきた人の手によって、海に落としてしまった。妹を探しに下船する父親からこれからはお前が家長だ、自分が戻るまで家族の面倒を見るようにと言われ、その約束を守った男の一生の物語だった。最後の場面でドクスが言った「お父さん自分は約束を守った。妹も見つけることができた。でも、辛かった。」という言葉がすごく重くて胸に響き共感できた。この最後の言葉のために描かれた映画といってもいいだろうと思った。主人公は父親と別れた時まだ10歳だったのだ。そこから自分が妹を海に落としてしまった(実際は落とされてしまったのだが)責任とそのことによって父親と別れざるを得なかったのだから、父親の言った「これからはお前が家長だ。」の言葉はすごく重かったと思う。その言葉のために彼は自分の生死も顧みず、弟の進学費用のお金が稼げるからと危険なドイツの炭鉱に行く。そして、たぶん現地でやはり家族のためにお金を稼ごうと、患者の下の世話や死体拭きなどつらい仕事をしながら生活している妻のヨンジャと知り合う。ドクスはビザが切れるので仕方なくプサンに戻った、ドクスのもとに3か月後ヨンジャが現れる。ドクスの子どもを宿していたからだった。そうでもなかったら、家族のために戻ることを決意したドクスはヨンジャと結ばれることもなかっただろう。何しろ家族のこと最優先の人であったから。せっかく家族水入らずで暮らし始めたところに、コップンの店が売り払われるかもという危機がおとずれ、また妹の結婚費用のためにもと自分の夢も諦め、妻お反対も押し切って戦時下のベトナムに技術職として渡る。そこで、かつての自分たちのように避難しようとする川船に避難民を乗せることになるのだが、避難民の幼い兄妹の妹が川に落ちてしまう。その時ドクスは銃撃戦の中川に飛び込んで幼女を助ける。これはかつて自分が妹を海に落としてしまい救えなかったことのやり直しである。というように思えた。まったくの赤の他人であるが、その時まるで、自分と妹のことのように感じられたのだと思う。あの時自分ができなかったことを彼はベトナムでやりとげないではいられなかったのだ。その結果命は助かったが不自由な足になってしまった。後年テレビの中継を使っての離散家族探しの時に妹を見つけ出すことができたのは、彼の川に落ちた少女を救った功徳であったようにも感じられる。
 結局彼は生涯を自分のしたいことのためではなく、弟妹や子供たちのために命ををかけてつらい仕事をしながら生きてきたのだ。それなのに、子どもたちは彼のことをよくわかっていない。3人の子供たちが旅行のために、合計6人もの孫をドクス夫婦におしつけていくのだ。まあ、家族思いのドクスだから6人も孫が周りにいっぺんにそろって、逆にうれしかったのかもしれない。ただ、この映画でよくなかったなと思うところが一つだけあるが、最後に妻と町を見下ろしながら語り合うところで「コップンの店」を売ろうと思うと言ったドクスに妻の言った「あなたも成長したわね。」は見当違いであると思う。そこで「お疲れ様でしたね。」とか「やっと、約束をはたせたわね。」「やっと解放されたね。」とかいう言葉のほうがよかったと思う。「愛しているから結婚した。」妻であればもっとよくドクスの心を理解していることを表す言葉のほうがよかった。「成長したわね。」ではいかにも上から目線の言葉のように感じられた。

韓流時代劇は最後までなかなか見ることができない

2018-09-22 12:00:42 | ヘミシンク
 韓流時代劇ファジョンというのを見始めて最初のほうは結構面白く見ていたが、だんだん見ていられなくなる。あまりにも自己中で動く登場人物が多すぎて厭になるからだ。だから、仁祖登場あたりから、なかなか続けて見られない。まだ黄海くらいの時代はとりあえず、王にこういう国を作りたいという意志の元で王権を守ろうとしていたので、周りにイイチョムみたいな自分の欲得で動いている人物もいたが見ることができた。仁祖ときたら、自分が王になって自分を今まで評価しなかった人間をひれ伏させたいというだけの理由で王になっているため、その欲得で動いているので本当に見ているのが嫌になる。王女の男や善徳女王も後半に来て見終えるのに挫折してしまった。
 また、ファジョンなどは全くのフィクションであるが、そのことは韓国人もわかっててみていると思う。ラストプリンセス大韓帝国最後の王女などというビデオパス有料で見た映画なんかはどうなのだろうか?最初にフィクションとは書いてあるが、事実を知らないで見たら、日本の戦前戦後の様子を知らない韓国人から見たら、イギン夫妻や徳恵翁主の上海への亡命未遂などが本当にあったと思ってしまうかもしれない。また強制徴用などで子供も奴隷のように働かされてたなどという事実と異なった部分が沢山ある。映画では来日後一度も朝鮮に帰れなかったように描かれているが、実際は徳恵翁主は日本に留学してから6回も帰郷しているということが事実であるらしい。また、小学生時代には童謡の作詞などもしていた。というので、精神疾患は別に生まれつきのものではないだろう。確かに母親がなくなって十分喪に服する時間が与えられなかったといったことが、病気の引き金にはなっているのだと思う。王宮で大切に育てられていた翁主が言葉はある程度教育されていたものの、まったく環境の異なる日本の学校に連れてこられ日本の皇族の姫として生活していきなさいということが大きなストレスになっていたところへ、引き離されていた母親の死ということが発病の引き金になったのだと思う。もしももっと強い人であったら逆境を乗り越えられて生きて行けたかもしれないし、あの時代もっと恵まれない環境で人生を切り開いていった人も大勢いるのだが、彼女にはそれだけの力がなかったのだと思う。政略結婚だったとはいえ、彼女も夫も詩心のある二人だったので、病気がなければ幸せな夫婦として生きていくことができたと思う。しかし、大韓帝国の王族は日本の皇族の一員だからと融和政策のために連れてくるのなら、本人の気持ちをもっと配慮してあげればよかったのにと思わざるをえない。それにしても島田伸介に似た朝鮮人が翁主たちを迫害する人間として、とても憎たらしく描かれていた。直接に手を下す人間は同じ朝鮮人というように描かれていた。

叔母夫妻が来た

2018-09-17 12:38:32 | 日記
 父親の14年下の妹は高卒後しばらく地元で働いて父親の紹介で市谷会館の職員になり、そこで12歳年上の夫に知り合い結婚した。なのでおじさんというのは85歳なのだがまだぼけてはいない。その反対に12も年下の叔母さんは糖尿病と認知症があるために週4デイサービスに通って、あと3日は訪問看護で血糖値管理をしてもらっているという話だった。父親が具合が悪くなったと知らせたら、涼しくなったら会いに行きますということで、先週の土曜日にロマンスカーで来てくれた。乗り遅れたらいけないと7時半には家を出たらしいが。結果新宿駅の小田急ホームで40分も電車を待ったそうで。10:18分発できて、12時48分の電車で帰ったので、滞在したのは2時間弱だった。おじさんもぼけてはいなのだろうが、ちょっと老人特有の自分がいいと思ったものを人に押し付けるといったかんじのところがあった。家から缶チューハイを持ってきてそのおいしさを私たちに紹介したいということだったが、忘れてきたので途中で買いたいというのでスーパーによった。お客さんに買わせるわけにもいかないので、おじさんが選んだ宝の缶チューハイを3本買った。前の日に父がおじさんはビールが好きだというので、私が350mLを二本買ってきたのに、その後父親が500mLを2本も買ってきた。
 結局その500mLのうちの一本をおじさん以外の飲まない人たちが乾杯用に少しとおじさんが残りを全部飲んだだけなので、今うちには缶ビールが3本酎ハイがまだ2本残っている(一本は私があとで飲んだ)入院したわけではなかったから、暑中お見舞いということで父の弟2人と叔母さん夫妻からということでお見舞いをいただいた。そのうちおじ叔母さんは私用にもということでつつんでくれてあった。9月末には叔母さんの地元の九州にもいくということであったから、その時にお餞別ということで渡しておけばよかったなと後で気が付いた。

娘はカマキリタイプかもしれない

2018-09-12 10:07:30 | ヘミシンク
 私の娘は既婚である。21歳のころに高校3年くらいから交際している人と結婚した。交際し始めていた当時、相手は娘に彼氏というだけでなく祖父・父親といった感じでも愛情を注いでいてくれたと娘は話す。娘が小さいころから私はなんとなく自分には娘の要求している愛情は注ぐことができないと感じていたのだが、その不足感を補ってくれるような彼氏ができてありがたいと感じていた。
 しかも、結婚するのに私は自分たちでできる分相応な結婚式をすればいいと思っていたが、娘の夢が結婚式ということで私はそんなことには反対だったが、相手も同調してローンを組んでまで二人で結婚式をした。それなのに今、娘は夫に対する愛情が向上心が見られないからいやだということで冷めてきてしまっている。自分が必要なときは相手から十分にエネルギーをもらい。それがなくなると嫌になるなんて、娘はカマキリのメスのようだ。と思わずにはいられない。たぶん、そうやって自分の好きな仕事に邁進していくのが娘の生き方なのだろう。