①「経済と福祉は矛盾しない」
経済と福祉とは相互矛盾するものではありません。北欧諸国の実例や財政学的視点からすれば、両者はバランスさせることができ、さらに相互促進しうるものです。
お伝えしておりましたとおり、先般当会が発行した冊子『持続可能な国づくりの会―理念とビジョン―』のうち、「ビジョン」を要点ごとにご紹介していきたいと思います。
ポイントの第1は「経済と福祉は矛盾しない」です。(本文8-9頁)
冒頭となるこのポイントはとりわけ重要で、その「矛盾しない」という理論および実際の説明と、では環境も含め今後私たちはどうすればよいのかという代案の提示が、以降の本ビジョンの大きなウェイトを占めています。
この矛盾とは、要するに「(広い意味での)福祉に金を使いすぎると経済の競争力が落ちる」という考え方のことで、本ビジョンはこの矛盾を「誤解」であるとしていますが、いまだに一般的には「常識」そのものであるといっていいと思います。
これのどこが誤解だというのでしょうか。
間違いなくこの「常識」にもとづいて、わが国はとくに90年代以降、「改革」の名のもとに社会保障を切り詰めてまず経済の競争力を、ということを一貫してやってきたわけですが、にも関わらず肝心の競争力自体が総体としてひじょうに危ういことになっているのをみれば、すくなくともその失敗はいまや明らかであると思います。
しかしそれがなぜ、どういう意味で失敗だったのかは、明快には説明されてこなかったのではないでしょうか。
本ビジョンでは、それは端的に改革の前提であった経済と福祉の「矛盾」というとらえ方そのものが「悲しむべき誤解」だったからだとしており、その理由を以降に説明していきます。
そして「理論的にも実際的にも」と宣言されているように、単なる理想論ではなく現実的な説得力を持ってその説明に成功していると思われますが、お読みになった方はいかがでしょうか。
なお本文では最大限簡略化するために割愛されていますが、その「理論」については神野直彦氏(関西学院大学人間福祉学部教授/元東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授)の財政社会学理論およびワークフェア国家論に、また「実際」についてはこれまで当会が学習会・シンポジウム等で積み重ねてきた新しいスウェーデン・モデルの学びに、それぞれ大きく依拠しています。
ところで、このポイント①を単純化したのが次の図1(左側)です。
(これはもちろん現実社会の複雑さ・例外・多様性等々を捨象しおおまかな方向性だけを取り出した単なるモデルにすぎません。)
左半分で上記の「矛盾」を説明しています。
人間社会の上にもっぱら「モノづくり」(ないしその延長)としての経済が乗り、国際競争力を高めるための経済成長はますます人間社会に重くのしかかります。
福祉は「弱者救済」のためのもので経済や人間社会の枠外に、それらとは別のものとして配置されており、経済のピラミッドから落ちてくる「おこぼれ」(いわゆるトリックル・ダウン)としての税収によって成り立っていますが、そのこと自体が経済ピラミッドの高さ(競争力)を危うくする、という意味で矛盾対立‐トレード・オフの関係にならざるをえません。
なお環境問題のことはいわゆる「エコ」など「売れる」「いいお話」としては語られますが、それが経済自体を何とかしなければならないものだとは、そもそも経済社会のモデルの中に環境が含まれていないこの構造からして発想されることはありません。
右は以降で説明する部分となりますが、経済が成長するためには環境も福祉も当然必要となるという、「矛盾しない」さらには「相互循環」となる21世紀型モデルを示しています。
(つづく)
経済と福祉とは相互矛盾するものではありません。北欧諸国の実例や財政学的視点からすれば、両者はバランスさせることができ、さらに相互促進しうるものです。
お伝えしておりましたとおり、先般当会が発行した冊子『持続可能な国づくりの会―理念とビジョン―』のうち、「ビジョン」を要点ごとにご紹介していきたいと思います。
ポイントの第1は「経済と福祉は矛盾しない」です。(本文8-9頁)
冒頭となるこのポイントはとりわけ重要で、その「矛盾しない」という理論および実際の説明と、では環境も含め今後私たちはどうすればよいのかという代案の提示が、以降の本ビジョンの大きなウェイトを占めています。
この矛盾とは、要するに「(広い意味での)福祉に金を使いすぎると経済の競争力が落ちる」という考え方のことで、本ビジョンはこの矛盾を「誤解」であるとしていますが、いまだに一般的には「常識」そのものであるといっていいと思います。
これのどこが誤解だというのでしょうか。
間違いなくこの「常識」にもとづいて、わが国はとくに90年代以降、「改革」の名のもとに社会保障を切り詰めてまず経済の競争力を、ということを一貫してやってきたわけですが、にも関わらず肝心の競争力自体が総体としてひじょうに危ういことになっているのをみれば、すくなくともその失敗はいまや明らかであると思います。
しかしそれがなぜ、どういう意味で失敗だったのかは、明快には説明されてこなかったのではないでしょうか。
本ビジョンでは、それは端的に改革の前提であった経済と福祉の「矛盾」というとらえ方そのものが「悲しむべき誤解」だったからだとしており、その理由を以降に説明していきます。
そして「理論的にも実際的にも」と宣言されているように、単なる理想論ではなく現実的な説得力を持ってその説明に成功していると思われますが、お読みになった方はいかがでしょうか。
なお本文では最大限簡略化するために割愛されていますが、その「理論」については神野直彦氏(関西学院大学人間福祉学部教授/元東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授)の財政社会学理論およびワークフェア国家論に、また「実際」についてはこれまで当会が学習会・シンポジウム等で積み重ねてきた新しいスウェーデン・モデルの学びに、それぞれ大きく依拠しています。
ところで、このポイント①を単純化したのが次の図1(左側)です。
(これはもちろん現実社会の複雑さ・例外・多様性等々を捨象しおおまかな方向性だけを取り出した単なるモデルにすぎません。)
左半分で上記の「矛盾」を説明しています。
人間社会の上にもっぱら「モノづくり」(ないしその延長)としての経済が乗り、国際競争力を高めるための経済成長はますます人間社会に重くのしかかります。
福祉は「弱者救済」のためのもので経済や人間社会の枠外に、それらとは別のものとして配置されており、経済のピラミッドから落ちてくる「おこぼれ」(いわゆるトリックル・ダウン)としての税収によって成り立っていますが、そのこと自体が経済ピラミッドの高さ(競争力)を危うくする、という意味で矛盾対立‐トレード・オフの関係にならざるをえません。
なお環境問題のことはいわゆる「エコ」など「売れる」「いいお話」としては語られますが、それが経済自体を何とかしなければならないものだとは、そもそも経済社会のモデルの中に環境が含まれていないこの構造からして発想されることはありません。
右は以降で説明する部分となりますが、経済が成長するためには環境も福祉も当然必要となるという、「矛盾しない」さらには「相互循環」となる21世紀型モデルを示しています。
(つづく)