② 知識社会を促進する福祉
経済の重心が「知識産業」に移行する21世紀型の「知識社会」では、教育・医療・福祉サービスによる安心のもとで開発された人々の知的能力が、産業発展の決め手となります。
前回、当会ビジョンの冒頭の、ある意味でもっとも重要なポイントと思われる「経済と福祉は矛盾しない」ということについてご紹介しました。
今回は、なぜそうなると言えるのかを説明した箇所である「知識社会を促進する福祉」です。(冊子10~11頁)
本ビジョンではこの「矛盾しない」ということについて、倫理的な「あるべき」論としてではなく、人間を大切に扱わないと経済自身がうまく回らず、ひいては国際競争力も劣化せざるをえないという、時代の趨勢に伴う経済・社会の変化の問題として把握しています。
つまり「福祉と経済の矛盾」という考え方が「悲しむべき誤解」だというのは、それがすでに成り立たない時代に突入してしまっているという、リアルな意味においてにほかならないということです。
その変化とは、「知識集約型商品」を生み出す「知識産業」(具体的には本文に例示していますのでご参照ください)への、世界的な産業構造の加速度的移行のことだと捉えられています。
たとえばこうしてネットでコミュニケーションすることひとつをとってみても、私たちが現在そうした激動の真っただ中にあることは間違いないと思われます。
そしてそういう今後の経済社会の主流のあり方をここでは包括的に「知識社会」と表現しています。
いずれのキーワードにも「知識」が冠せられているのは、これからの経済社会では個人の創造的な知的能力が産業発展の決定的な決め手になることを意味しています。
重要なのは、そうした「知識」すなわち「個人の知的能力」は、当然ながら安心・安全がベースにあって初めて開発・成長しうるものだということです。
したがって知識社会がうまくめぐるためには、安心を保障する福祉等の社会サービスがベーシックに必要になります。
つまり「国民全体の知的創造力の水準を高めるためには、十分な財政的対処によって、教育サービスや医療サービスや福祉サービスを充実させることが必須なのです。」(本文より)
(この本文のくだりで「国民全体」とあるように、知識社会を高める「個人の知的能力開発」とは集団を構成する個々の成員の、ということで特定個人のことだけをいうのではありません。たとえば、いわゆる「勝ち組/負け組」という話のように、少数の特定個人がどれほど高度な知能を獲得し成功しえたとしても、競争の中で「その他大勢」となるほとんどの人々は自己肯定できないという意味で自信=意欲を喪失せざるをえませんから、競争主義はかえって集団全体(たとえば国家)の競争力を阻害してしまうでしょう。そのことは、つい先日まで当たり前のように続いてきた競争主義・市場原理主義的な「改革」のあとに残された惨状を現在目の当たりにしている私たちにとって、あまりにも明らかだと思われます。)
言い換えれば、経済と福祉は矛盾するものではなく両立できる、そればかりか産業発展のためこそ本来両立させる必要があるものだ、ということになります。
ではそれを実現する社会システムとは一体どのようなものか、ということが次のポイントとなります。
前触れ的にお伝えすると、それが先に少し触れた「ワークフェア国家」という社会システムです。
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ところで先にご紹介した冊子10頁所収の「図1・経済と福祉の位置づけ」の右側「21世紀型の社会モデル」についてですが、これは、いま本格化しつつある「知識社会」を図で示したものです。
産業の国際競争力を先と同じくピラミッドの頂点、ここでは全体の知識水準の高さとして表現しています。
しかしその高さは宙に浮いたものではなく、それを担う人材と人材を育成する教育の広がりによって支えられており、さらにそうした創造的な人材は、福祉や医療サービスによる安心・安全という土台がなければ生まれてくること自体困難です。
つまり「知識資本」は教育・福祉・医療等の社会サービスがあってはじめて成り立つものであり、その意味で人間とその福祉を含んだ全体構造を経済であると表現しています。
そして創造的な知識=国際競争力が高まるには、それを支える教育や医療を含めた広い意味での福祉も、同時に豊かに広がる必要があります。高い山はそれに応じて麓が広大となるのに似ています。これが知識社会における経済成長といえるでしょう。
ところでこの経済‐社会構造は環境という地盤の上に成立していますが、いまやその地盤には大穴があき、このままではピラミッドは崩壊、すなわち持続不可能となってしまいます。
経済自体の地盤の保全・改善のためにこそ、高められた知識や人材を投入する必要があるのは明らかです。それこそが「持続的な経済成長」を保障するでしょう。
(つづく)
経済の重心が「知識産業」に移行する21世紀型の「知識社会」では、教育・医療・福祉サービスによる安心のもとで開発された人々の知的能力が、産業発展の決め手となります。
前回、当会ビジョンの冒頭の、ある意味でもっとも重要なポイントと思われる「経済と福祉は矛盾しない」ということについてご紹介しました。
今回は、なぜそうなると言えるのかを説明した箇所である「知識社会を促進する福祉」です。(冊子10~11頁)
本ビジョンではこの「矛盾しない」ということについて、倫理的な「あるべき」論としてではなく、人間を大切に扱わないと経済自身がうまく回らず、ひいては国際競争力も劣化せざるをえないという、時代の趨勢に伴う経済・社会の変化の問題として把握しています。
つまり「福祉と経済の矛盾」という考え方が「悲しむべき誤解」だというのは、それがすでに成り立たない時代に突入してしまっているという、リアルな意味においてにほかならないということです。
その変化とは、「知識集約型商品」を生み出す「知識産業」(具体的には本文に例示していますのでご参照ください)への、世界的な産業構造の加速度的移行のことだと捉えられています。
たとえばこうしてネットでコミュニケーションすることひとつをとってみても、私たちが現在そうした激動の真っただ中にあることは間違いないと思われます。
そしてそういう今後の経済社会の主流のあり方をここでは包括的に「知識社会」と表現しています。
いずれのキーワードにも「知識」が冠せられているのは、これからの経済社会では個人の創造的な知的能力が産業発展の決定的な決め手になることを意味しています。
重要なのは、そうした「知識」すなわち「個人の知的能力」は、当然ながら安心・安全がベースにあって初めて開発・成長しうるものだということです。
したがって知識社会がうまくめぐるためには、安心を保障する福祉等の社会サービスがベーシックに必要になります。
つまり「国民全体の知的創造力の水準を高めるためには、十分な財政的対処によって、教育サービスや医療サービスや福祉サービスを充実させることが必須なのです。」(本文より)
(この本文のくだりで「国民全体」とあるように、知識社会を高める「個人の知的能力開発」とは集団を構成する個々の成員の、ということで特定個人のことだけをいうのではありません。たとえば、いわゆる「勝ち組/負け組」という話のように、少数の特定個人がどれほど高度な知能を獲得し成功しえたとしても、競争の中で「その他大勢」となるほとんどの人々は自己肯定できないという意味で自信=意欲を喪失せざるをえませんから、競争主義はかえって集団全体(たとえば国家)の競争力を阻害してしまうでしょう。そのことは、つい先日まで当たり前のように続いてきた競争主義・市場原理主義的な「改革」のあとに残された惨状を現在目の当たりにしている私たちにとって、あまりにも明らかだと思われます。)
言い換えれば、経済と福祉は矛盾するものではなく両立できる、そればかりか産業発展のためこそ本来両立させる必要があるものだ、ということになります。
ではそれを実現する社会システムとは一体どのようなものか、ということが次のポイントとなります。
前触れ的にお伝えすると、それが先に少し触れた「ワークフェア国家」という社会システムです。
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ところで先にご紹介した冊子10頁所収の「図1・経済と福祉の位置づけ」の右側「21世紀型の社会モデル」についてですが、これは、いま本格化しつつある「知識社会」を図で示したものです。
産業の国際競争力を先と同じくピラミッドの頂点、ここでは全体の知識水準の高さとして表現しています。
しかしその高さは宙に浮いたものではなく、それを担う人材と人材を育成する教育の広がりによって支えられており、さらにそうした創造的な人材は、福祉や医療サービスによる安心・安全という土台がなければ生まれてくること自体困難です。
つまり「知識資本」は教育・福祉・医療等の社会サービスがあってはじめて成り立つものであり、その意味で人間とその福祉を含んだ全体構造を経済であると表現しています。
そして創造的な知識=国際競争力が高まるには、それを支える教育や医療を含めた広い意味での福祉も、同時に豊かに広がる必要があります。高い山はそれに応じて麓が広大となるのに似ています。これが知識社会における経済成長といえるでしょう。
ところでこの経済‐社会構造は環境という地盤の上に成立していますが、いまやその地盤には大穴があき、このままではピラミッドは崩壊、すなわち持続不可能となってしまいます。
経済自体の地盤の保全・改善のためにこそ、高められた知識や人材を投入する必要があるのは明らかです。それこそが「持続的な経済成長」を保障するでしょう。
(つづく)
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