ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

友軍また一人逝く

2014年10月18日 20時45分45秒 | ペタンク爺さんの一日
女房の従兄妹は凄い人数がいて、名前と顔が一致しない人たちが多かった、今夜通夜がある従兄妹は妻の母親の弟の長男で子供のころから交流が絶えないあいだ柄だった、年齢も近寄っていたので気軽に何でも話し合うる間柄と思っていた、亡妻の葬式の時には元気な顔を見せていたが、突然の訃報が従兄妹でも年長の竹内宅から連絡が入った、今夜は私が竹内氏を迎いに行って出かける事にしている。

女房の親やの親の代に、奈良県の十津川から滝川地方のに移住して来ている、新十津川から妹背牛、朱鞠内などに開拓で入った人たちで厳しい開拓時代を凌ぎ子孫が北海道に住み着いて行った経過がある。
どちらかと云うと、農業を主体に考えての移住であったと思う、稲作を根付かせたのもこの人たちではないかと思っている。

今夜竹内氏を迎えに行って石丸善雄氏のお通夜に行ったてくる、家族葬と云いながら今から十数年前にいとこ会で案内を打た数は34家族だった、札幌に定住する家族も多く参加を絞っていたと思うが今日の参加者の半分以上は「いとこ」関係だった。

北海道の石丸家を継いでいるのは、今夜の善雄氏だったが子供は女の子なのでこの後は私等では判らない、石丸家は「石丸吉三郎とスエ」さんから女の子が3人四人目に忠さんが誕生し善雄氏に繋がっていた、男は一人でこの後も二人の女の子が誕生している、末の女の子は今年百歳を超えている、妻の母親は石丸の三女でその子に三男三女を誕生させていた、その長女が私の妻になっている、その兄妹も残っているのは二人の妹だけになってしまった。

今夜の通夜の宴席に従兄妹の齢の順序の様にテーブルの席が決まってしまった、従兄妹のトップは早来の小坂氏で直ぐ下に竹内氏につながるがどちらも90歳には到達している、それに今回も車を運転して参加して来ていてまだまだこの先黄昏老人ではない、子供達もそれぞれ60歳代になっているので、先輩として私の目標になっている人達です。
私は、明日別件の要件があり竹内氏を残し帰宅してくる。

今日も昼食後、秋晴れの天候に誘われ八紘学園校内までバイク探訪に行ってくる、途中日糧パンの直販店に立ち寄ると目的の蒸しパンが一個だけ残っていたので買い込んでから今度は八紘学園の直販店で牛乳を買う、校内は季節ごとに代る風景に何時も足を止めてしまう嬉しい所で魅力は尽きない写真の被写体です。

バイク探訪
バイク探訪02
越冬準備着々
我が月寒の由来は