ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

峠が雪の日に大根干し

2014年10月29日 18時49分09秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日中村勘三郎さんの三周忌の事が報じられていた、そうだ妻泰子と同じ年に逝ったことに気が付かされる、あっという間の三年間であったことにも再度気づかされる、29日の今日は亡妻の月命日だった、9時過ぎにはお坊さんが早々とやって来ていた。
挨拶も「寒くなりましたね」が最初に飛び出す、雪が降っていないが朝から寒い冬の日の始まりだった。
今日は昨日一足先に畑の大根掘りと、大根洗いを終わらせ車の後ろ荷台に乗せたままの大根を、今日は竹内宅に持ち込み家の周りに干す段取りになっていた。
昨日から予報を注視していたが、朝から晴れるのテレビ解説に昼近くになれば温かくなるので大根干しは戸外での作業にも楽に出来るなかなと気安く構えていたが、12時を過ぎ竹内宅に到着した時点でも、空は雲で覆われていて寒さは今年一番と思える厳しい日に思えた。
テレビでは頻りと中山峠は42センチの積雪情報を流していた。

始ってしまうとさほど時間がかからないので空の様子を見ながら、大根干しが始まったのは午後1時30分頃だった、竹内キサ先生の指導を受け妹の活躍も始まる、どうも男の出番が少ないのも良く分ってくる、漬物は女の専門職と思えるが男の手出しもあると思っている。
兎に角ひと夏種蒔きから始まり、足掛け三か月で製品に仕上げた秋大根は大型スパーのルートには絶対乗らない規格外の最低商品なのだが自分で初めて作った野菜に凄い愛着を感じている。

大根を収穫して見て解った事だが、種蒔き後多少は間引きをしたり最初は草取りもしていたが途中から全く人の手は入らなかった、自然農法のように大根の意のままに放置したままだった、それただけに手間が掛からない野菜だと間違った考えを持ったのも事実で、後に先輩達から聞くと途中様々な手入れ作業もあったことも判ってくる、決算すると種蒔き後6割くらいがなんとか食べれる大根に育ったと締めくくる。
来年は、今年の教訓を生かしせめて規格外製品から抜け出そうと肝に銘じる。

それにしても、寒い一日だった竹内キサ先生にも手伝ってもらい曲がりなりにも大根干しを終わらせる。
何日か後、いよいよ漬物作業に移ってくる、樽から重石、それにそのまま竹内宅に保管を依頼している。
漬物の種類、沢庵漬け、玄米漬けの2樽が今年の作品になる。

今年の作品の全て
すだれに編んでぶら下げる
大根葉も作品になる

お昼は白菜の焼きそば(男の料理)
白菜のサラダ(男の料理)


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