思えば、義父は大正、昭和、平成 と激動の時代を駆け
抜け戦後の復興の一役を担い、我が家の礎を築いた人です
戦争にも行き、シベリアに抑留され、3人の子供を亡く
しています。復員後、農林省に入り、地方の所長で
定年を迎えたました。
読ませても書かせても語らせても、それは達者で一家の
家長として、その責任を全うした人でした。
その上、上背もあり、鼻筋も通り、若かりし頃、男優の
三船敏郎と呼ばれたこともある美男子で女性には
とても、もてたそうです。
お酒が好きで、飲むほどに酔うほどに饒舌になり
嫁の私は良く迎えに行かされたものです。
途中、あすこへ寄れとか、ここへ寄れとか「はしご」したく
なり、連れ帰るのに辟易したものです。
「酔っぱらいのたわごと、素面で聞いちゃいられない」と
文句の一つも云いたくなりますが、そこは新米の嫁じっと
がまんでした。(笑う)
面倒見が良く、知人の就職先を紹介したり、親戚の
悩みごと相談にものっていたようです。
遠慮なく良く喧嘩もしたものです。間に入った、義母、夫は
おろおろしたものです。
そんな元気だった義父が、年老いて一回りも二回りも
小さく、静かになり歳月は人を変えてしまうとものだと
改めて感じてます。
今では義母、夫、義父もいなく、共に過ごした日々が
尊くなつかしく、数々の思い出は何故かいつも楽しく
美しいのですね
生前のご厚情に感謝し、これからも変わらぬご指導
ご厚誼を賜りますようお願い申しあげます。