みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

天狗山 大雄山 最乗寺

2008年03月15日 07時13分05秒 | 日記・エッセイ・コラム

Dsc07815 先日、神奈川県、南足柄教育会が、開祖によって杉Dsc07721 の植林されて褒め称えた、大雄山にある最乗寺へ行きました。

建築物は、昭和になって建築されたり、江戸時代建築で、古い文化財的なものはないのですが、曹洞宗の修行寺になっています。

参堂まで、江戸時代から、ずっと寺や植林のため寄進した人の名前と金額を彫った碑文がたくさん並んで苔生していました。

なにげなく一部の碑文の列を見ると、明治37年、大正11年、昭和10年とあります。戦前一番新しいので、戦前は昭和10年かな、と思って眺めていました。

昭和10年といえば、米騒動があったり、日本は経済的に苦しい時期で、食べるものがほとんどなくて苦しかったのよ、と母が述べて、自分の生まれた頃あたりを回想していました。

太平洋戦争時に、寺にあった金属品はすべて国に回収されたと、Dsc07739 平成元年記載の碑文に書いてありました。
戦後は、昭和37年、と続きます。

江戸時代から植林や寄進をした人は、まさか日本が大戦争に巻き込まれ、本土が焦土と化すとは思っても見ないで、ひたすら平和と祖先の繁栄を祈ったことでしょう。

そう思うと、なんだか祖先の祈りも虚しく、日本で大勢のDsc07772 人が亡くなった現実を痛ましく思う一方、平和を祈念する祖先が最低限の緑を祖先に残してくれて、今生きているわたしたちを生かしてくれることを思い、自分は世間にもずいぶんお世話になっているなあと感じたのです。

東京大空襲で、隅田川に飛び込み、灼熱の沸騰したお湯のような中で、唸り叫んで虚しく死亡した多くの人は、いったいどんな悪いことをして、あんなに苦しんだんだろう、何も悪くなくても巻き込まれて、あんな目に遭った、自分はいやだと思いながらも、ほんと、最近は戦中フィルムは放映されないし、郷土館でひっそり展示されてまうだけになってしまいました。

戦争が始まってから、自分は加担したくもないし、参加したくもDsc07789 ない、そう思った時には手遅れだったなんてならないかな、と思ったり、そういえば、憲法改正の国民投票の二週間前は憲法について、マスコミは規制される法案がもう可決されたから、これからもっと大事なことを報道もされなくなることになるし、みんなが自分で思案するしかなくなり、このHPでも余計なことは言えなくなるんだなと実感しました。

大雄山のおおらかで緑濃き自然の中で、ああ、ひっそり世界の喧騒から離れて、静かに念仏する空間がまだあるなあ、とつかのまの幸福を味わって来ました。これって大事なことだからと。   

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帰宅途中のバスで乗客たちが話していました。「最近、バスで領収書を書いてくださいって言われて困っています。160円と」運転手さんの気持ちが理解できます。

困ることでしょう。
乗客のひとりが言いました。

「政治家さんかね。そういえば、5万円以下の政治献金は明示しないとか。まあ、ほんとうに悪いことしていないなら、ガラス張りの経費提示してほしいDsc07858 よ。」と述べて、「貧乏人はいつも貧乏人だよ」と嘆いていました。みんな町の人に手を振ったり、ほんとつましく生きているのに、収入そんなにまじめに生きても殖えないなあと思う人は日本中大勢いるのでした。

やっぱり所得格差は感じます。
高いマンションが売れ、別荘まで持つ人がいますもの。海外旅行なんて夢だなと今の時点では思います。
財布を開けて、思案してしまうから、ウインドーショッピングも控える庶民の気持ちは豊かな人には理解できないだろうなあと思ったり、ちょっと虚しくなります。

共産国じゃないからしかたないけれど、庶民の不満は影で膨らんでいます。

Dsc07791 天狗の山で有名な大雄山ですが、わたしは天狗が牛若丸を育てたように、未来に大きな崇高な夢と意志のある、清らかな少年少女を大人が地球防衛隊の一員として踏ん張ってくれるように大事に育ててくれたらいいなあ、自分も支援したいと思いました。

これは夢物語です。最近の子はもうかなりすれてしまって、怖いくらいの子がいます。ただ、そうありたいなあと望みます。

最乗寺から、ボーイスカウトの少年が大勢降りて来ましたが、銃を向けず相手が畏れて銃を納める力を秘めた人になってほしいです。

この寺には、天狗の像があり、赤い高下駄などが置かれてあります。庭園には藤の花が美しく咲いていて、つつじの花も見頃でした。

Dsc07792 瀧には水しぶきが清らかに飛び、木々に囲まれた静寂な場所でした。深閑としていると言えばいいでしょうか。

高下駄の下をくぐると、たいへんな御利益があるそうです。夫婦円満、子宝授けなど。わたしは子どもたちがここをくぐって、誘惑に負けない、勇気ある、元気で利発な子になってほしいと思いました。

このお話は2007年の初夏ですが、今年2008年に大佛次郎さんの「鞍馬天狗」が放映され、昔はいろいろな人が演じたものですが、ああ、ああいう発想って、もう持って小説化されていたんだなあと思い出しました。

父は、生前のお元気な大佛次郎氏と面会したことが若い頃あったそうで、「とてもあんな、ぱかぱかと馬に乗って鞍馬天狗が登場するなんて発想をするユニークな方と言うより、非常な紳士でね、ギャップがあってね、ははは・・・」と笑っていました。そうそうお会いできる方でもなかったのですが、お人柄を親から教えてもらって、ふーんとDsc07801 思って安心してテレビを拝見しました。

テレビで言う、鞍馬天狗の「わたしは不死身なのだ」と言う言葉、これって、理想に燃えた大人が子どもにその大事な理念を伝えて、「葉っぱのフレディ」のように、やがて死んでも次世代へ受け継ぐことなのだと言う台詞と、「自分と同じような人がまた現れる」と言う言葉、是非またこういう小説や「天皇の世紀」などお書きになる方、日本の政治や社会を前進させてくださる方の活躍を願ってやみません。

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1 コメント

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一字名は あやしいやから と掲示板係に、 (悠山人)
2008-03-15 09:49:21
一字名は あやしいやから と掲示板係に、
勝手に思われるような時代になりました。
今日の記事も、静かな佇まいで、
穏やかな心で拝読しました。
人間、どこまで残酷で冷ややかになっていくのかな、
なんて考えると、さびしくなりますね。
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