読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

杏仁豆腐の読み

2009-04-16 09:35:33 | 読書

「杏仁豆腐」の読みはやはり「あんにんどうふ」でいいらしい。「あんにんどうふ」で漢字変換をすると間違いなく「杏仁豆腐」と変換される。「杏仁(きょうにん)」は杏(あんず)の種から出来る漢方薬である。その粉末と葛を固めて寒天状にすると杏仁豆腐になる。杏は唐音で「あん」、漢読みで「こう」。この漢音が訛り、「きょう」になったと漢和辞典にある。「杏仁豆腐」は「きょうにんどうふ」でなく「あんにんどうふ」でよかったのだ。漢字は中国から輸入されたが輸入された場所と時代が異なっていたために同じ漢字が呉読み、漢読み、唐読み、宋読み、蜀読みなど色々な読み方がされる事になった。平安時代と明治になって、漢字の読みを漢読みに統一しようとする動きが有ったが呉読みは医療関係と仏教関係に残った。利益は漢読みでりえき、呉読みでりやくである。お経を読んでいると特に漢字の読みの違いが良く判る。看護婦さんの事を白衣(びゃくい)の天使などと言ったが漢読みでは「はくい」だ。女性も呉読みで「にょしょう」。今は看護婦さんが看護師さんになり「びゃくいの天使」などとも更に言いにくくなってしまったが。

一作作家

2009-04-15 14:18:03 | 読書

一作作家と言う語を始めて聞いた。たった一つのヒット曲で芸能界から忘れ去られてしまう歌手が居るようにただ一つの作品だけで話題となるがその後は作品が出ない作家の事を言うらしい。杉本苑子も「孤愁の岸」と言う江戸期の木曾三川の難攻土木工事を描いた作品で直木賞を受賞した後、三、四年はどこの出版社からも小説原稿の依頼は無かったそうだ。直木賞さえ受賞すれば後は執筆依頼など断るくらい来るものと思っていたからこの話を杉本苑子著「春風秋雨」で読んで不思議に思った。この本のもう少し後の方にも出てくるが直木賞、芥川賞と言えば杉本氏の頃は新人賞であったのに今は金メダルでも取ったように騒がれる為、直木賞さえ取れば作家は安泰などと私は誤解したらしい。直木賞も芥川賞も新人賞だったのだ。

定家の書簡発見

2009-04-14 13:51:02 | 読書
以前「定家の百枚」梓澤 要著(新人物往来社)を読んだ。長編の推理小説だが定家についての取材が詳しくされており、殺人事件と言う筋書きより、定家についての記述の方が興味が有った。それによれば定家の歌人としての名家の襲名を巡って争いが有った事も有り「定家様」と言う独特の筆跡が有名になり後世にその筆跡を真似た書が多く出回り定家の真筆は発見が難しくなっていたと言う。その筆跡は城作りや造園でも有名な小堀遠州なども優れた定家様の文字を書いたと言う。最近、めったに発見される事のないと言う定家の書簡が発見されたと言う記事が新聞に載った。往復書状で縦31.4cm、横95.8㎝の大きさのもので定家が後鳥羽上皇の臨幸(外出)の進め方を天皇や上皇の秘書官である頭弁(とうのべん)に問い合わせた内容のもので重要文化財級の史料であると言われる。名古屋の徳川美術館で5月11日から24日まで展示されるそうだ。

「司馬遼太郎と城を歩く」をもう一度

2009-04-12 08:49:53 | 読書

「司馬遼太郎と城を歩く」光文社、は大分前、図書館で借りて読みかけのまま返却した本だった。それには司馬遼太郎が訪れた城などの写真が多く掲載されていたが文庫本でその本が出されている事が判り、続きを読んでみようと文庫本の方のリクエストカードを別の図書室に出して置いた。文庫本の方にも写真は掲載されて居るのだろうかなどと思いながらリクエストカードを書いておいたが図書室が用意してくれたのは単行本の方だった。以前、この本の内容がNHKテレビのBS11でシリーズで放映されていた。本の冒頭と同じくその番組でも冒頭で「私は城が好きである。余り好きなせいかどの城址に行ってもむしろ自分はこんなものは嫌いだといったような顔を心の中でしてしまうほどに好きである。」と言うナレーションで始っていた。そんな事も有ってまたこの本を読み返そうと思いたった。

もう一つラジオからの話

2009-04-11 10:05:48 | Weblog
昨日、私の同級生の母上が亡くなられた。今回は私は葬儀にお参りに行かなかった。
通夜も欠礼してしまった。それはさて置き、永六輔がラジオで話していた事を思い出した。通夜には喪服を着たり香典を出してはいけないと言う話だ。遺体の傍でドンチャンやった方が良いと言う。と言うのは昔の事だから傍の喧しさで生き返る事が有ったからだと言うのだが。

淀川長治のことば

2009-04-10 10:17:35 | Weblog
少し前の話でラジオで永六輔が話していた。淀川長治と永六輔とさだまさしは誕生日が同じなのだそうだ。そこで、さだまさしだったかが淀川長治に誕生日に一緒に食事をと誘ったそうである。が淀川は「君たちはそう言う事を言うのか、君たちを生んだのはお母さんだからお母さんと食事をしなさい。」と答えたそうである。

「おくりびと」を見た

2009-04-09 08:55:41 | Weblog

「おくりびと」を見た。涙を流しながら見たという人が多いが私はホロリとした程度だった。それより納棺士が遺体を納棺する為に整えたり、清掃したり化粧を施したりするときに姿勢なども整えるのだが死者の腕などを納棺師が柔軟に動かせる事が不思議だった。死後硬直はないのだろうかなどとそんな事ばかりを考えて映画を見ていた。実話を基にした映画だと聞くが、本も読んで見るべきか、と思った。

日本語特集の新聞投書欄から

2009-04-08 10:51:22 | 新聞

中日新聞がその読者投書欄で日本語を特集している。その中に一人の中学生のものが有った。日本語に外来語が最近増えているので日本語の漢字にできるものはそうした方が良いのでは、と言う意見だ。例えばイノベーションは革新にアカウンガビリティーは説明責任にすれば良いのではと言う事だ。どんな外国語が日本に入って来ようとその語が日本語の中で使われる限り、結局その語は日本語化されその外来語が他の意味や概念を併せ持っていても日本語化された意味だけを表す語として使われるようになる。日本語はそうした特質を持った言語なのだと思う。古代から漢字と言う外国語を日本語として使い、その漢字の造語力を利用して明治期夥しい文化、文明を取り入れたのである。

コンビニからの協力が得られる

2009-04-06 19:01:32 | Weblog

昨日、コンビニからのビールやジュースの空き缶や捨てられた雑誌のゴミなどが年に一度行われる町内総出の掃除で行う我々の掃除区域に多く散乱しており、それについて善処をそのコンビニに申し入れておいたがその時は責任者不在でこちらからの申し出が責任者に伝わるかどうかが解らず、回答は期待出来ないと思っていた。がそれに対して返事の電話が貰えた。これは有り難かった。そしてそこから出るゴミについて善処する旨の協力が得られる内容の回答だったので有り難く、お礼を申し上げたい。そのゴミ散乱の部分だけでも年に一度の清掃に参加して貰えると言う事だ

コンビニの空き缶や棄てられた雑誌が

2009-04-05 17:28:09 | Weblog

今日は町内で年一回の溝や側溝を掃除する行事が有った。皆が協力して自分達の住む環境を綺麗にすると言う事を毎年続けていて、それで比較的快適に暮らせているが、我々の掃除する受け持ちにコンビニが有り、そこから出されるジュースやビールの空き缶、更には棄てられた雑誌などがコンビニの敷地に隣接する溝に大量に散らばっていて付近の住民から苦情が出ている。コンビニに善処を申し入れたが責任者が不在で店員だけだった為どうなるか判らないと言う状態になっている。その場所に棄てられた空き缶や雑誌類だけでもコンビニで処理して欲しいと思っているが。