今、口蹄疫で話題になっている宮崎県のある九州本土には七つの県がある。
福岡、佐賀、大分、熊本、鹿児島、長崎県の県庁所在地は城下町だった。
宮崎だけが城下町でない。
明治4年(1871年)の所謂、廃藩置県で現在の宮崎県には、
延岡、高鍋、佐土原、飫肥の各県が設置されがこれらの県は同年の
府県合併により、都城県、美々津県に統合された。
更に2年後の1873年(明治6年)この2県が統合され、現在
の宮崎県が成立した。が統合前のこの二つの県庁は100キロ以上
離れていた為、県域の中心に近い宮崎郡北方村に県庁が置かれた。
宮崎の名は県庁が置かれた村が属する郡の名であった訳だ。
ところが1876年(明治9年)宮崎県は鹿児島県に併合さ
れてしまったのである。
西南戦争が始まる5ヵ月前のことだった。
この戦争は、熊本県、鹿児島県に止まらず宮崎県も戦場となり
被害を受けた。
ところがその戦争後の復興事業では、鹿児島県は薩摩・大隅地域を
優先したのである。
当然、これに不満を持つ旧宮崎県民は鹿児島県からの独立運動を展開した。
結果、1883年(明治16年)宮崎県は独立したという事である。
福岡、佐賀、大分、熊本、鹿児島、長崎県の県庁所在地は城下町だった。
宮崎だけが城下町でない。
明治4年(1871年)の所謂、廃藩置県で現在の宮崎県には、
延岡、高鍋、佐土原、飫肥の各県が設置されがこれらの県は同年の
府県合併により、都城県、美々津県に統合された。
更に2年後の1873年(明治6年)この2県が統合され、現在
の宮崎県が成立した。が統合前のこの二つの県庁は100キロ以上
離れていた為、県域の中心に近い宮崎郡北方村に県庁が置かれた。
宮崎の名は県庁が置かれた村が属する郡の名であった訳だ。
ところが1876年(明治9年)宮崎県は鹿児島県に併合さ
れてしまったのである。
西南戦争が始まる5ヵ月前のことだった。
この戦争は、熊本県、鹿児島県に止まらず宮崎県も戦場となり
被害を受けた。
ところがその戦争後の復興事業では、鹿児島県は薩摩・大隅地域を
優先したのである。
当然、これに不満を持つ旧宮崎県民は鹿児島県からの独立運動を展開した。
結果、1883年(明治16年)宮崎県は独立したという事である。
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