読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

黄門の助さんは漫遊した。

2011-11-27 10:04:02 | 歴史
助さんは本当は漫遊ではなく光圀のために歴史資料を全国に求めて
旅をした。この助さんのモデルの佐々介三郎宗淳は元、京都妙心寺の
僧だった事は知らなかった。「祖淳」と号した。
承応3年(1654年)15歳のときに京の臨済宗妙心寺の僧侶だった。
父は佐々直尚で、その七男一女の五男として生まれた。
母は加藤清正の家臣大木兼能の娘。 父の佐々直尚は、はじめ熊本の
加藤清正に、次いで子の忠広に仕えたが、寛永に讃岐に移って生駒高俊に仕えた。
寛永17年生駒騒動が起きると佐々直尚の一家も讃岐を立ち退くこととなり、
その途上、瀬戸内の一小島で生まれた。そのため、幼名は島介といった。
仏教に疑問を持ち、密かに論語を読み儒学に傾倒するようになった。
延宝元年(1673年)、34歳のとき還俗。江戸に出て翌延宝2年9月、水戸藩に仕官し
進物番兼史館編修となったそうだ。
吉野山中の神社に佐々宗淳が書いた後醍醐天皇関係の資料借用証が残っているそうだ。
作家の童門冬二がそれを見たことがあるそうだ。


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