貞享四年(1687)一月二十八日、江戸の町の角々に奇妙は高札が立った。
「今日、各所に布達されたのは、以下の通りである。人宿、牛馬宿、そのほかにも生類が重い病にかかると、まだ死んでいないのに捨てると言う事を聞く。このような事をする者居れば厳しく罰するように」と言った内容のものであった。これが五代将軍綱吉が後世、犬公方と呼ばれるようになった所以である。所謂、生類憐みの令はこれが始まりで、綱吉の二十九年に亘る治世に百三十回以上の細かな指示が出され、これらの令の総称が「生類憐みの令」なのである。始まりの貞享四年の一年間だけで十九回ものお触れが有った。
中には、禁を破って処罰を受けた者の名を公表するものも有ったと言う事だ。
「今日、各所に布達されたのは、以下の通りである。人宿、牛馬宿、そのほかにも生類が重い病にかかると、まだ死んでいないのに捨てると言う事を聞く。このような事をする者居れば厳しく罰するように」と言った内容のものであった。これが五代将軍綱吉が後世、犬公方と呼ばれるようになった所以である。所謂、生類憐みの令はこれが始まりで、綱吉の二十九年に亘る治世に百三十回以上の細かな指示が出され、これらの令の総称が「生類憐みの令」なのである。始まりの貞享四年の一年間だけで十九回ものお触れが有った。
中には、禁を破って処罰を受けた者の名を公表するものも有ったと言う事だ。
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