続「黄門」 2009-01-31 09:19:08 | 歴史 若い頃の水戸光圀は放蕩三昧で三味線などを弾き、武士とも思われない姿で歩き回り、周囲から顰蹙をかっていた。ところが十八歳になって司馬遷の「史記」にある「伯夷列伝」を読んで人格が一変したと言う。光圀は儒学ではなく歴史書によって蒙を啓いたのである。これが後、「大日本史」の編纂に繋がるのである。唯し、この大日本史が整備され出版されるのは明治に入ってからである。光圀は元禄十三年に死去した。 #本(レビュー感想) « 間もなく二年 | トップ | 出光佐三のこと »
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