GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「怒りは<猛毒>」

2011年01月08日 | Weblog
以前「怒り」についてこんなことを書きました。
音を聞いて怒りを覚えた。音は原因、怒りは結果。しかし、音はすぐに消えてしまう。その瞬間だけなのです。永久に続くものではないというふうに感じるのです。心の中に生まれた怒りも音とだと思って、怒りをおさめるのです。


「嘘、裏切り、脅し、怒り、嫉妬、そんなことから身を引こう。
 無気力や恐れや悪意が心に充満し、本当の不幸を呼び寄せないように。そして、幸せになるために…」

「許せないから人は怒り、とんでもないことをしでかします。そしてその怒りは、ストレスを増加させ成人病を誘発させます。 許せないことが増大しているのが現代人の特徴のような気がしています」

 元旦の神戸新聞を読んでいて思わず手が止まりました。スリランカの高僧アルボムッレ・スマナサーラ氏が「怒り」について語っていたからです。彼は怒りは「猛毒」であり、怒らないことが幸福の鍵だと語っていました。正月早々私は大共感しました。

「もちちろん、人間は怒るようにできています。本能です。だから怒らないということはとても大きな挑戦なのです。怒りはすべてを駄目にします。怒ることで相手はあなたの『敵』になります。敵に囲まれて、生活や仕事ができますか。また怒りは、『相手より自分が正しい』という気分から生まれるため、学ぶ態度が失われ、成長が止まります。怒りがわいてきたときには言葉を発さず、考えず、心をいったん停止させて感情が静まるのを待つことです。それは『我慢』とは違います。仕事・家庭・病気など、『この世は何一つ思い通りにならない』ことを前提とし、しかし、どうでもいいとは思わず、いかにうまく向き合うかを探る。そうした知恵が必要です」

-怒らないことは「負け」につながるのでは。

「真の競争相手は他人ではなく、日々の向上を怠けようとする自分自身です。何事も挑戦的にとらえ、謙虚に学んで心を成長させると能力があがり、社会から頼りにされます。それは成功と云えるでしょう」

-世界では、宗教や文化の対立が絶えないように映りますが。

「残念ながら、大半の宗教は人の不安をあおり、“救い”を与えることで信者を束縛してきたのが実態です。既存の教団は人間の支配欲の反映と言えるでしょう。信仰する神を信じる民のみ別格というのは彼らの教えに従えば、全人類に対するヒューマニズムは成立せず、戦争の種になるだけです」
「初期の仏教でブッダの教えを忠実に伝えられてるのが上座仏教(「テーラワーダ仏教」)を呼ばれています。私たちが掲げるのは、ある意味で『無神論』なのです。ブッタは自らへの崇拝を求めず、人間のあるべき生き方を説きました。『幸せになるためには、勉強し、親や家族を大切にし、きちんと働く。悪行をせず、自分の能力を発揮できるところに住みなさい』など、ごく当たり前の方法論を言われたのです」


-先が見えない不安や恐れは。

「予想もつかない遠い将来について悩むことを、仏教では『病気』とみなします。今この時点で何をするべきか考えれば、おのずと答えは出てきます。今なくして次の瞬間はないのですよ、今を大切にして下さい。人間には人の役に立てる可能性が必ずあります。大きな視点で考えず、まず身の回りの人間関係から道は見えてきます。この人がいれば助かる、でいい。問題があると思われている子どもでも、用事を頼み、人の役に立っていることを実感させると変わります」

●マザー・テレサも同じようなことを語っています。

-世界平和のために何をしたらいいのか。

「帰って家族を大切にしてあげて下さい」
「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。
 人から見放され、『自分は誰からも必要とされていない』と感じる事なのです」

「100人に食べ物を与えることができなくても、1人なら出来るでしょ?」



基本は<身近>です。真理は常にここにあるような気がしています。
愛を注ぐことも身近な人から、怒りもまた身近な人から遠ざけること。

 ケヴィン・コスナーの海難救助隊の映画「守護神」でも同じようなことが語られていました。
「救助の基本は、そばにいる人から助ける」私はこれが真理だと思っています。
 

 身近な人に愛を注げないで、遠くの他人に愛は注げない。
 身近な人への怒りを納められないで、遠くの他人への怒りは納められない。
 身近な人を助けられないで、遠くの他人は助けられない。



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