GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「お弁当は毎日のラブレター」

2013年05月23日 | Weblog

中学に上がるとき、母が私に尋ねた。「お弁当のおかず、何しょ?」

私は大好物となっていた「トンカツ!」と即答した。

 実は幼い頃からずっとトンカツを食べるとジンマシンがでて、家族の中で私だけがビフカツを食べていた。しかし、下半身に毛が生えだした頃から、何故か急にトンカツの油が大好物になってしまったのだ。
 1965年当時、実家は粉浜商店街(南海本線:住吉大社~粉浜)で2軒の店を営業していて、母はその1店を任されていた。宮崎県や鳥取県から高卒の住み込み従業員を雇い(多いときで5名)、賄いのおばさんが洗濯や食事を作っていた。しかし、私のお弁当は、その賄いさんが来る前に作らなければならず、母の仕事だった。母は3年間、5軒先の内山精肉店のトンカツを買い、翌日私の弁当のおかずにした。そして、私は3年間、トンカツ弁当を食べ続けた。

 昨年阪神を退職したが、今年の3月11日からまた働き出した。中学・高校の6年間、その後のフリーターの時期も含めると10年位息子の弁当を作り続けた連れ添いは、まさか、また弁当を作ることになるとは考えもしなかったはずだ。私自身考えもしなかったが、毎日弁当を持って仕事に行くことが、とても新鮮に感じ始めた。飲食業に就職した私は、常に現場の飲食店で食事を済ませてきたからだ。連れ添いの弁当箱を開けるとき、時々中学時代の弁当が蘇ってくる。母は私にこう尋ねたことがあった。
「明日もトンカツでええのか?」「うん」私はいつも即答した。
3年間トンカツ弁当を食べると、何故か最初の年で決めていた。今思うと母との思い出作りという気持ちが心の何処かで働いていたような気がしている。『3年間トンカツ弁当』という二人だけの絆だ。

    

    

    

 連れ添いが私のために作るお弁当は、毎日3,40分の時間をかけている。弁当の蓋を開けるとき、いつも新鮮な気持ちで「今日は何かな?」という想いがこみ上げてくる。息子はずっとこんな弁当を食べ続けたのか、これじゃあグレるはずがないなと思った。
 ラジオのCMで「お弁当は毎日のラブレター」というコピーを聞いたが、本当にその通りだと思う。30歳になった息子もこの意味が十分理解できるはず。そして、商売で忙しいにも関わらず、3年間トンカツ弁当を作り続けた祖母も気持ち、ただ黙々と食べ続けた私の想いもわかってくれるはず。

 家族の絆とはこんな何気ない日常の事実が何本も組み合わさって頑丈になり、しかも思い出すともいつも温かい想いがこみ上げてくる、そんなしろものだ。息子には祖母の純真な血が流れている。そして、私と連れ添いのhotで誠実な血も流れている。いずれ誰かと絆を結ぶ。ひょっとするとすでに誰かと絆を結び始めているのかもしれない。ただ気づいていないだけかも… 周囲の人がすべて誠実な人ではないかもしれない。でもあなたはいつもどんな人にも誠実であって欲しい。絆はそんなときに生まれるものだからだ。絆は求めて得られるものではない。自分の血の中に、純真でhotで誠実な血が流れていることを覚えておいて欲しい。気づく人はすでに気づいているのだから。



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