GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「八重の桜」(2)

2013年01月14日 | Weblog

子供の世界は限られている。
知識と経験が少ないからだ。
だからこそ興味を持ったときの集中力は、狂気と呼べるかもしれない。
幼い八重の鉄砲への興味は、親の激しいお叱りにもかかわらず、
結局動じることはなかった。
狂気と呼べる何かがあったに違いない。
後の松蔭こと吉田寅次郎の黒船密航もまた狂気と云える。
自分の目で確かめないと気が済まない気持ち。
手にしなければ、いてもたってもいられない気持ち。
幼い頃誰もがそんな経験(=狂気)に遭遇する。
密航は死罪と云われたにも関わらず、
寅次郎は大人になっても、好奇心という狂気が消えることはなかった。

江戸に留学した八重の兄覚馬は砲術研究から
象山が云う「真の攘夷は夷を持って夷を制す」の意味を理解し
蘭学や進んだ西欧知識の取得に目標が変化していく。
幼い八重や若い寅次郎の狂気に似た好奇心、
覚馬の砲術から蘭学研究への変心も
根底に流れているのは<知識欲>ではあるまいか。

          

●写真はフランス海軍陸戦隊によって占拠された長州長府の前田砲台。砲台が占拠されるに至ると、高杉晋作は赦免されて和議交渉を任される。時に高杉晋作、24歳であった。交渉の席で通訳を務めた伊藤博文の後年の回想によると、この講和会議において、連合国は数多の条件とともに「彦島の租借」を要求してきた。高杉はほぼ全ての提示条件を受け入れたが、この「領土の租借」についてのみ頑として受け入れようとせず、結局は取り下げさせることに成功した。これは清国の見聞を経た高杉が「領土の期限付租借」の意味するところ(植民地化)を深く見抜いていたからで、もしこの要求を受け入れていれば日本の歴史は大きく変わっていたであろうと伊藤は自伝で記している。(ウィキペディアより) 

ペリーの来航以来、蒸気で動く黒船を筆頭に新式銃や反射炉、
エレキなど、西欧そのものが怒濤のように流れ込んできた。
未開発国の人々が、テレビや無線、
飛行機を初めて見たときの仰天と似ているに違いない。
一握りの人たちしか知らなかった西欧文明が、
農民・町民を含め衆知の事実となったのだ。
1862年、最も勇猛果敢と云われた薩摩が薩英戦争で英国に破れ
1863~64年、下関戦争では長州までが列強(仏・英・米・蘭)に破れた。
攘夷が不可能であると幕府をはじめ多くの人々が思ったに違いない。
火縄銃や射程距離の短い大砲ではどうにもならないと知ったのだ。
圧倒的近代兵器の差が敗戦の最大の理由だった。
そして、その結果異常とも思える<知識欲>をかき立てた。
大衆をも含めた膨大な知識欲が、何百年も続いた鎖国から解き放たれ、
明治以降の近代化を支えて行ったに違いない。
しかし、米国の大統領制、議会制民主主義というイデオロギーは
勝や龍馬に力では思想として発芽するには至らなかった。
真の議会制民主主義による議会開催は、
1946年日本国憲法が制定されるまで、長きの時間を必要とした。
龍馬が進めた大政奉還から約70年もの年月がかかったのだ。

まるで小さな子供の世界のような日本に、
怒濤のようなに新しい文明がなだれ込んだ。
そして、何百年も続いた士農工商という差別制度が
消え去るのではないかという甘美な匂いを漂わせながら、
狂気のような文明開化が、大衆に支持されて行った。



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