GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「教え子との交際を迫る事件」と『ロミオとジュリエット』

2008年03月11日 | Weblog
 元教え子に交際を続けるよう求める脅迫文やメールを送ったとして、埼玉県警捜査1課などは3月8日、同県川口市立川口高校長の市川和夫容疑者(56)(埼玉県上尾市仲町)を脅迫の疑いで逮捕した。

 あまりに愚かしい事件だ。二人の人生が土台から崩壊するかもしれない。私が若い女性の親ならばきっと暴力的報復に打って出るに違いない。若い娘も決してスキがなかったわけではないだろう。しかし、30才も離れた教職の立場にある人物が若い生徒と肉体を持ちしかも長期に渡って関係を続けたことに対して大きな憤りを感じてしまう。教養という言葉を微塵も感じない行為に自己抑制力の欠如というような生やさしい言葉では言い尽くせない思いが込み上げてくる。レイプ以上の極刑を求刑したいくらいだ。

 教頭をしていた頃(48才)同校の女子高校生(17才)と交際して、その後8年間も続く男女関係の不可解さ。純粋な若い女性の皆さんには決して理解できないことに違いない。1595年が初演とされるシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は、日本では小田原城を落とした豊臣秀吉が、天下統一を成し遂げ朝鮮出兵をした頃の物語です。あの頃の戯曲が未だに何度も映画化され、舞台で演じられるのはいかなる理由があるのか?若き日の純愛の物語と上記のような情愛事件と何が共通しどこが違っているのか?

 共通するのは性に対する無防備的錯覚。分かりやすくいうと体を通じることによって生まれる情愛は純粋な愛にあらずということだろうか。二人の関係も最初はきっと違っていたとせめてそう思いたい。秀吉や家康の時代、武家の婚姻では花婿・花嫁が顔を合わすのは婚姻当日が一般的だった。敵国に人質同然で嫁いだ娘が、夫との肉体関係(嫁はバージン100%?)や生活を共にすることで情を通じ情愛が生まれる。こうして徐々に生まれた情愛は、深くて断ち切ることができない絆となっていく。

 錯覚という言葉を使いましたが、初体験では肉体の喜びを愛と錯覚する傾向が多分に見られるからだ。20歳を越えて初めて女性と肉体関係を持った純粋な男性は、彼女自身の人物的評価?を冷静に分析できることは非常に困難だと思う。情愛がすべてに優先されて致し方ないと思える。当初女子高校生だった被害者の彼女も同様です。教頭への情愛を愛と錯覚しズルズルと関係を続けた可能性が大と思われます。止まった車にぶつかるような事故では100%加害者責任となりますが、人は生き物で動き続けています。交通事故と比較するのははなはだ見識を疑われそうですが、9:1で彼女にも責任が発生すると考えた方がいいと私は思う。男性の恐喝めいた行動は犯罪として極刑に相当する。しかし、彼女も自己反省なくしてこれからの長い人生を生き抜けないと思う。他人のせいにしている人はいつまでも自らの道に戻れないと私は考えているからだ。

『ロミオとジュリエット』はお互いにバージンだったように書かれている。若さ故の知識や経験の欠如による決断の甘さが感じられる。純愛はすべての人が幼い頃経験しており、だからこそ深く人の心に染み込み共感を呼ぶのだと思う。ここに「琴の弦は張らなければ音は鳴らない」的なバランスの難しさ、大切さ、妙が存在する。

<知識の氾濫は人が持つ本質的な好奇心を失う>という点です。

 知らなければ良かったというような例に数多く遭遇してしまう。極端な例だが、映画の戦闘シーンは年々リアルで過激なものなってきており、はらわたや出した死骸や腕や脚がなく、大やけどをおった肉体を見て軍隊や消防署、警察に入ろうとする人が数多くいるでしょうか? しかし、現実には世界のあらゆる国にそういった正義感に満ちた勇気ある人を必要としている。
 
 親のセックスを見てしまった中高校生はどういう心理的影響を受けるか? 本人の知識や成熟度合で大きくその影響は変わってくる。情報や知識の氾濫はそのバランスをより幅広いく深いものしてしまうようです。若い先生が生徒に対して100人100様の対応できないのは決して不思議ではありません。

 だからこそ現代の親の役目は昔以上に重要になってきてるように思うのです。自分の子がどんな想いでいるのか、地図上の何処に存在しているのか、親が我が子を想いばかるしかないと思うからです。外は教師でも信用できない危ない輩がウロウロしているジャングルであり、オアシスが見つからない砂漠なのです。そんな外界に獣でさえ幼い子供を自由に放とうとはしません。小学校を卒業したら我が子と一緒にセックスを伴う映画、たとえば「ロミオとジュリエット」のオリビア・ハッシィーの信じられないくらい美しい全裸のラブシーンを見てもいいのではと思います。そして切ないラブストーリーの悲劇にファミリーで涙していいのではと思います。

 情愛が生む深い絆を幼い我が子に教えることなど不可能なことかもしれません。しかしそうしてことが肉体関係をとうして生じることも中学生になれば知識として持っていてもいいと考えています。

 50歳を過ぎた地位ある男性と若い教え子との不倫に、本当の愛は存在しないというのが私のスタンスです。そして野獣がうろつくジャングル、オアシスもない砂漠に子供を解き放っていることを親は頭のどこかで意識し、自らのあらゆる能力を駆使して我が子がどんな想いなのか、地図を持っているのか、地図上のどこにいるのか、愛を知っているのか、愛するものはなんなのかを知ろうと努力して欲しい、そして努力したいと思っています。


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