私の朝顔の葉で最後の休息を取る熊蝉
短い命を力一杯燃焼したかのように微動だにしない
7年も8年も地中の中で堪え忍び
地上に出て羽化したらわずか一週間の命
理不尽とも思える自然の摂理を 静かに受け入れる姿を
ただじっと見つめる
80年の人の一生も 悠久の時の流れからみれば蝉と同じに違いない
違うのは心があるがゆえ
悲しみや苦しみや喜びを味わえることだ
朝自然に目が覚めるということは
自分の意志で生きているのではなく 生かされていることに気づく
自分の意志で息を止められる人はいない
生かされていることに気づけば 感謝の気持ちが生じてくる
幼い頃や輝くような年頃には気づかなかった思いだ
いくつもの身近な人の死に遭遇して 気づいていくものだ
残りの人生が四分の一くらいになったとき
誰もが自分の人生を振り返り
感謝できるような人生だったのか
それともそうではなかったのかと思うのだろう
『野性なるものが自らを憐れむのを私はみたことがない。
小鳥は凍え死んで枝から落ちようとも
自分を惨めだとは決して思わないもの』
こう語ったのはD・H・ロレンスだが
野生なるものに生まれ変わりたいとは思わない