GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「赤ちゃんは完璧?」(孟子・荀子・朱子)

2008年05月19日 | Weblog
「まだまだ欲しいものが一杯ある」
風呂敷が幾つあってもたりないと若い頃は思う

でも残念ながら風呂敷は何枚もないことに気づく

さらに手に入れられないものが今まで以上に明らかになっていく
(あきらめるという語源が明らかにすることだそうだ)

やがて今まで風呂敷に入れてきたものが
重たくてこの坂道を上っていけないことにも気づき

涙ながらに背負ってきたものを
優先順位に従って捨てていくしかないこと悟る

どうやらこれが大人になっていくことらしい
その事に気づかない人を少年・少女
もしくはヤングアダルトと呼ぶらしい

ある人がこのようにいった

「赤ちゃんは何も思わない」
「だから、完璧かもしれない」

>気を悪くしたり
>誰かを好きになったり
>何かをうざく思ったり
>ありがたく思ったり
>感動したりしない

でも、年を重ねることによって人は成長するらしい
これは本当だろう?

確かに足し算やかけ算、
いい国作ろう鎌倉幕府と多くの知識を詰め込み
テストやクイズ番組には強くなる

そして脳の質量が増加すると
人は生まれながらに平等であり自由の権利を有し
しかも、合理的に生きたいと思う傾向があるらしい

世の中が平等ではなく、
理にかなっていないことをどこかで認知しながらも…

そのジレンマをかき消すため欲が生まれ、嫉妬を覚える
人間の本性は基本的に善であり、悪を人の外に求めて、
人は堕落していくと紀元前300年頃の戦国時代に孟子は説いた


これを性善説と呼ぶの?



では性悪説は?


赤子は泣きながら生まれてくる

乳欲しさに泣きわめき
自分の汚物にも関わらず、その不快を泣き叫ぶ
ゆえに赤子は獣なり

だから言葉を教え、文字を覚えさせ、本を読ませて
情を悟らせ、教養と自立・自律を身に付けさせる

「性」とは人の本性やものの本質のことで、
「性」という字は生まれながらの心という意味だという。

性悪説では「人の性は悪」は結論(論旨)ではなく前提(論拠)であり
大切なことは「後天的努力」と孟子の数十年後に荀子は説いた。


古代中国は王道思想である性善説を押し進めたが
荀子は性悪説で批判し法家思想を大成させた。

そしてその後千年以上を経て
朱子(朱子学の創始者)が性善説をこのように発展させた。


人が悪に染まるのは、「本然の性」が「気」(万物を構成する要素)に覆われており、
人によってその度合いが異なるから善人・悪人の差異が生じるのだとした。
朱子学の特徴の一つとして、「静坐」や「読書」による修養・教化があるが、
これらは「気質の性」を「本然の性」という本来あるべき「性」へと
かえすことを目的(「復初」=教化・修養)としたものという。


こんな古代の説など知らなくても
いい国作ろう鎌倉幕府など知らなくても
人は生きてゆける


ただ、やがて残り少なくなった命の時間だけは誰もが気づき
もっと生きたいとか早く死にたいとも思う

大きいと思っていた風呂敷が
穴だらけの小さな布きれになったことにも気づく

哀しいかな、沢山の宝物に囲まれている人も
かつての天下人だった秀吉も家康も奥州の覇者政宗も
持っては逝けぬ虚しさと
残していく不安が脳裏をよぎり
無常な世を恨んだかもしれない

いかような人生を送ろうとも
自分の人生は自分で決着をつけるしかない


幸せも哀しみも喜びも憎しみも
信じる説に関わらず
人は生きていく道でそれらと遭遇する

死はすべての人に訪れるが
幸せや哀しみ、喜びや憎しみの配分は
人によってかなりの差があるようだ

ここに人生の妙があるように感じる

 「何を信じ、何を守ってきたか」

  死の床についたとき

  何を思うのか……