GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「奇跡の人」(原題「The Miracle Worker」)

2008年05月09日 | Weblog
 小学校6年生の時、母と見たアーサー・ペン監督、名女優アン・バンクロフト主演の「奇跡の人」。母が「奇跡の人、ヘレンケラーの物語ですよ」と私に説明したけれど、私は映画を見終わったとき母に「奇跡の人は、サリバン先生の方だよ」と言い返した記憶が残っています。
 
 まるで飼い犬のように育てられた三重苦のヘレンに対して、奇跡のような強い信念で文字を教え「物にはすべて名前があるのですよ」と学ばせようするサリバン先生。
 サりバンは三重苦の娘に対して盲目的に溺愛する両親と必死で戦いながら、ヘレンのイタズラや反応に頭の良さを感じその可能性を信じます。そしてケラー家を出て、長くて辛い二人だけの人間復帰への戦いを始めます。

 そしてついに、ヘレンが水道の蛇口から流れる冷たい水を手に感じ、「これはなんていうの?」と手話でサリバン先生に聞きます。アン・バンクロフト演じるサリバンが、幼いパティー・ディーク演じるヘレンの前に膝まづき、手話で「w a t e r 」と涙ながらに教えるシーンは感動のクライマックスです!
 
 その二人の配置、少し下からとらえた二人の顔に水しぶきがかかる光と陰の映像はモノクロ映画とは思えないほど見事でした。
 
 そして周りの木や草、イスを叩きながら「この名は? この名は? この名は?」と聞き回るヘレンにサリバンは必死について行きながら手話で教えます。ヘレンもまた記憶した名前を手話でサリバンに確認します。それが合っているとサリバンはヘレンの手を持って自分の頭に乗せて首を縦に振ります。OKサインです。生まれて初めて会話ができたのです。

 最後にヘレンはサリバン先生の顔を叩き、「あなたの名前は?」と手話で尋ねます。
 サリバンは涙を流しながらヘレンに初めて手話で名のり、二人は初めて抱き合うのです。
 それは獣から人間に復帰できたことを確認し合う二人の喜びの抱擁でもありました。
 私の記憶に残る映画史上最高のシーンの一つです。
 

 ヘレンとアン・サリヴァンの半生は、『奇跡の人』(原題:The Miracle Worker)として舞台化及び映画化されており、日本でも何度も上演されている。原題の"The Miracle Worker"には「(何かに対して働きかけて)奇跡を起こす人」といった意味があり、アン・サリヴァンのことを指すが、日本ではヘレンのことと誤解され、「奇跡の人」がヘレンの代名詞として用いられることも多い。

「人生は恐れを知らぬ冒険か、無か。
(Life is either a daring adventure or nothing.)」の言葉でも知られる。  (ウィキペデイアより)


 アン先生が家庭教師としてヘレンと出会ったのは、弱冠20歳の時でした。今回初めてこのことを知ったのですが、この若さでどうしてヘレンに信念ある堅固な教育が出来たのだろう。まさに奇跡と云うより他はありません。

 映画ではアンがまるで獣のような生活を送っていたヘレンにテーブルマナーを必死で教え込もうと涙ぐましい努力を繰り返しますが、ヘレンはそう簡単に受け入れるはずがありません。飼い犬に「お手」や「お座り」「待て」を教えても、犬は餌欲しさで飼い主に従うだけでそれが礼儀とは理解できません。しかし人はその形からその心をいずれ学んでいきます。

 茶道にも「形決まれば自ずと心決まる」という言葉があります。

「かしこい子の育て方」という本の中で一人でオシッコがちゃんと出来るように指導し、背筋を伸ばした姿勢や挨拶をしっかりと習慣づけること、スプーン、はさみ、鉛筆、お箸など手の使い方を教えることは、人の話を聴くという心の姿勢を身につけ自立心を育てることに役立つと書かれていました。

 このように形から入る初等教育はどうやら欠かせないと思います。そして現在では上記のような4歳までの幼児教育が大切だ思っている親は決して多くはないと思います。

 結婚を前にしている若い人や今から幼児を育てようとしているご夫婦がいらっしゃったら、この機会にどうかお二人で幼児教育をじっくり話し合ってみてはいかがでしょうか。