GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

黒沢映画「赤ひげ」を見よう!

2007年11月27日 | Weblog
 もうじき織田裕二主演の「椿三十郎」が公開されます。なんとも楽しみなことです。幼い頃、20分南海電車乗って難波に出かけて映画を見て、ぼてじゅうでお好み焼きを食べ、丸十の鮨屋に入る一家の休日が大好きでした。そんな頃、東宝敷島で「椿三十郎」を見たのです。

「赤ひげ」    (1965) 監督/脚本
「天国と地獄」 (1963) 監督/脚本  
「椿三十郎」  (1962) 監督/脚本
「用心棒」    (1961) 監督/脚本

 「用心棒」は残念ながら幼い頃の記憶には残っていないのですが、「椿三十郎」以降は良く覚えています。最後の三船と仲代の決闘シーンは今でも脳裏に焼き付いています。「天国と地獄」の身も凍るような恐怖と緊張感は小学生だった私の心を丸掴みしました。加山雄三の若大将シリ-ズや勝新の座頭市シリーズ、中村錦之助の「一心太助」、大川橋蔵の「新吾十番勝負」シリーズなどの映画ばかり見ていた私にとって「天国と地獄」のようなストーリーに驚愕したのは無理もありません。子供ながらにだんだんと目が肥えてきた私が、傑作「赤ひげ」と出会ったのです。

「<愛>という感情」の日記でも書いたのですが、腹が減った。眠い。便や尿を排泄したい。不快だ。(痛い・眩しい・疲れた・喉が乾いた)気持ちいい。こうした感情を体感してようやく人は寂しいとか楽しいという感情を覚えます。恋や愛という感情は人しかもてない極めて人間的感情です。「赤ひげ」はそんな感情が分かりだした時見た映画でした。

 まだまだ単細胞だった私は、見終わって「医者になりたい」と思いました。そして赤ひげの似顔絵まで描いたことを記憶しています。加山が扮する知識だけの青年医師が、病を持った貧しい庶民達と接するうちに人の心に初めて近づいていくのです。彼が今まで長崎で学んできた蘭医学とは異質のものだったのです。それは私が今まで見てきた映画と「天国と地獄」や「赤ひげ」のような映画との違いを知った事とどこか似通っています。今までの知識や経験がなければ「天国と地獄」や「赤ひげ」を見ても理解できなかったように、青年医師が赤ひげと出会い、庶民の無知・貧しさ・病を肌で感じて始めた自分の慢心や<自分の位置>に気づいて行ったのです。

<道>と名の付く「茶道」「柔道」「剣道」「書道」というスポーツ。これらは最初は<型>から入ります。見よう見まねで師と仰ぐ人から100%の信頼の元、型(姿勢・スタンス)から教わります。知識や技術を学んできた青年医師が初めて<真の医療>というスタンスを赤ひげから学び直していきます。これが映画「赤ひげ」の主題です。

 クリント・イーストウッド氏が黒沢映画で一番好きな映画は「赤ひげ」と公言しているのはきっと同じような背景があると思います。彼は黒沢映画の「用心棒」をセルジオ・レオーネがリメイクしたマカロニウエスタン「荒野の用心棒」でハリウッドに凱旋し、ドン・シーゲル監督の「ダーティー・ハリー」シリーズでスーパースターとなります。その他にも多くのバイオレンスアクション映画に監督・主演しますが、自分の映画の師であるセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げた“最後の西部劇”「許されざる者」で念願のアカデミー作品・監督賞を受賞します。エンドクレジットには彼らに捧げると言葉が入りました。しかし、それは彼らからの決別でもあります。もう二度とあのようなバイオレンスは撮らないという意味でもあるように思います。その後の彼の映画がそれを証明しています。「赤ひげ」の青年医師が感じた自分のスタンスや位置に気づき、作るべき映画がはっきりと見えだしたのでしょう。彼も今までの経験が必要だったのです。それを気づかせてくれた師の二人に決して嫌みではなく、心から感謝する気持ちで「許されざる者」を製作・監督したのでしょう。その後に作った「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」を見ても、今までにない人の心に迫るリベラルなスタンスを感じます。


 今年の春先に、千葉の親友が「赤ひげ」「七人の侍」のDVDをプレゼントしてくれました。その後は自分で「椿三十郎」「用心棒」「天国と地獄」を手に入れました。この4本の映画は私の位置を知り得た宝ものです。どうかみなさん、この映画を見て自分の位置やスタンスを省みて下さい。決して後悔させない絶対のお奨め作品です。

グッドラック感動したお奨め映画度:96点 (以前より少し点が上昇)