繊細さんと鈍感さん
(命や自死に対する私なりの思い)
( 画像は 堤防の上のバッタ 10.1 )
今朝の新聞(9/29) を見て
「「繊細さん」の本」という題が
目についた
少し前にも見たが 熊日新聞のコラム『新生面』を読んだ後だったので
今朝改めて見て繋がりを想像してしまった
というのも そのコラムでは
最近続いている芸能人の自死のことについて 哀悼と危惧の気持ちで述べてあって 私も読みながら そうだと共感する部分があるからだ
プロレスラーの木村花さん、俳優の三浦春馬さん、芦名星さん そして 今回の竹内結子さん
このところ芸能に関わる人の死去が相次いでいて
全国のファンの人たちも悲嘆に暮れていて また
あんなに輝いていたのに 何で⁈
あんなに若くてキラキラしていたのに
あんなに家族仲良く暮らしていたのに
何で⁈ と 私らの疑問は 尽きない‥
新生面の筆者も書いておられるが
私も 9/27 のブログで
コロナ禍の影響に触れている
この国中を いいえ世界中を覆っている
何とも言えない暗鬱な感じ、毎日が息詰まるような雰囲気、日常生活を 心から楽しめないような感覚、何をしても 何かがそばにいるような閉塞感‥
そんな今までは あまりなかったような感覚が 毎日のように身辺を囲んでいる
感覚が敏感な若い人 とりわけ芸能人は
世の中の空気をよむのは 私ら市井人より鋭いだろう
巣ごもり生活、仕事の激減、雇用や景気の悪化、新型コロナへの衛生面の対応、
その気になる影響はあげたらキリが無い
だけれども誰でも 一人ではないはずだ
どんな人であっても 世界には 必ず3人の味方がいる とも聞いたことがある
そして お互いの命は
「ただ一つだけ」ということだ
もし自死すればそんな自分にとって
とても大事な人を大変深い悲しみに陥らせるし 愛する家族や友人知人、そして大事なファンの気持ちを裏切ることになるし あるいは 取り残されという喪失感や後悔、自責の念なども抱かせ
人によっては 恨みごとさえ
言いたくなる人もいるやも知れぬ
芸能やスポーツというハレの世界で輝きファンからは愛され尊敬もされ 目標ともされる憧れの人は
ドラマやイベントや映画や舞台、イベント会場などで かけがえのない大スターである
そんな人たちが自ら命を絶ったことを知った若い人たちは 純粋であるが故に
虚無感や絶望感、挫折感、不信感などにとらわれ 自分の命や人生に対して
価値や尊厳を見失い 誤った認識と行動を選んでしまうかもと考えると
私は 強く危惧してしまう
そして 昔から ある意味 美化したり
憧れたり 尊崇したりして
自らの命さえ絶とうと試みたり
しかも 同じ年代の人が後追いを
したとみて じゃあ私もと考えたりして
連鎖反応や伝播をしてしまう
だけど 私は 自死だけは
最後の最後の究極の決断には
しないで欲しいと強く願う
悲しい結末は 誰も見たくはないし
知りたくはないのだから‥
そして 他者を
死にまで追いやる言動や書き込みを
この社会からなくさねばならない
ps 2020.9.29 草稿 10.6 追記
今 私は 万葉集と新古今和歌集の視写に毎日取り組んでいるが 当時の文化人の何と繊細なことかと改めて驚かされる
しかし それでも 当時の歌人の中には 政治の中枢にいて活躍した人もかなり存在するし ある意味では
お互いの繊細さや繊細さぶりを競っているのではないかと
思ってしまう作品もある
つまり 一見繊細そうであっても 生活や仕事の軸足はしっかりとしていて かなり強固な精神を保持していたのではないかと推察するのだ
繊細な人は あれこれ考え過ぎて 心の余裕を失くし周囲への目配りができずに誤解を招いたり孤立化することも
あると思う( この私も どちらかというと「繊細派」に入ると思うが
別の面から言うと「ひどく鈍感な時がある」と 家内から何度か言われたことがある )
私自身は 自分は繊細な面があると何気にアピールしている時があるけれど 自分の場合は 鈍感な面も併せ持つことを認識しておきたい