枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

葉月、旧八朔・大潮

2018年09月10日 | Weblog

 今朝はプラ当番で、早朝よりのボランティア。小雨の降る中を出て行き、小一時間立つ。ちらほらとの持参だが、皆適当に入れて行くので、大した手間もなく終了。帰って来ての洗濯に、青空が見え始める。風はきつく、洗濯物も乾く。珈琲を挽いて淹れながら、休刊日なので再度読む。

 屋敷周りの掃除をしておいて、塩の入れ替えを済ます。枇杷葉も、硬くてごわごわの葉がたくさん見える。洗濯物も溜まっていたので、それをしてから採ろう。心地よい風が渡るので、網戸にして通す。留守中には閉めているので、すばるがうれしそうに寄って来る。ちょっと心が痛む。

 折り鶴ランのランナーを出したのや、株を分けて移植した鉢を取り込む。夏分には光に当てていたが、霜の来る前に仕舞っておかないと枯れる。水を遣り過ぎても腐るし、意外と手間でもある。困ったもので捨てられない。どんどん増える。行く先を試行中でもある。冬には鉢が溢れる。

 支払いや、野菜の購入、燃料補給に行く。沿道に山際に、這い上がって絡みつく、テイカカズラが見える。卯の花もそうだが、自然の創り出す芸術で、小さな集まりが大輪の花に、白い滝のように観える。花束を買えば高い物になるが、心に刻み付ける風景はお金は掛からない。贈り物。

 花屋に並ぶ花だけが、美しいのではなく、価値観の持ち方で、素晴らしさが広がるもの。この広い野原いっぱい咲く花を 一つ残らずあなたにあげる 赤いリボンの花束にして・・・。白い花摘んであの人にあげよ 白い花白い花 あの人の髪に咲いて揺れるだろう お月さんのように。

 みんなの歌で聴いた時には、森山良子さん 本田るつ子さんだった気がする。テレビを観なくなって久しい。勤務先では、NHKは余り点けなく、民放の馬鹿の集まりが、雛壇に並んで姦しいばかり。まともなことを喋っている者はいず、やらせにうんざりしている。キャスター司会か。

 ブラタモリは、地名に依っては観たいが、確執はない。DVDは、読書と同じで、時間の融通が利くのがいい。映画館に行けば迫力はあるのだが、億劫でもある。往復の時間が惜しいし、どうしても観たい内容のがない。好きな時に、どんな格好ででも観られる。シアターは大画面の宇宙。

 今年の収穫はこれで終了。枇杷の形には、楽器の琵琶に似た、長崎茂木と丸い房州枇杷がある。


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