枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

終戦から既に73年・・・

2018年08月15日 | Weblog

 記念日と言う表現には、少なからず抵抗がある。戦争には行っていないし、戦時中のことも知らない。祖母や両親の語ることにも、肉親を殺された複雑な想いが見て取れるもの。祖母は、多くを寡黙で過し、この日には特に、位牌に長い時間を黙祷していた。振り向いた顔には、涙の痕が残っていた。

 新聞にも記事があったが、叔父が亡くなったとされている、シベリアからは、遺骨は愚か、所持品さえ、果たして本人の物かも定かでなかった。遺族年金を貰えるとは言えど、無事な息子に遭いたかったであろう。戦争は、国民を盾にして、名誉を借りた争いである。命の値段等より帰してほしいのに。

 今の平和は、大勢の犠牲になった命の元に、あることを決して忘れてはならない。同じ国民でありながら、真っ先に死んでいった沖縄の方の、貴い命も。その沖縄を、今尚苦しめている基地なのに、わたくしたちは傍観して、自分達には関係ないとそっぽを向く。これは国家の犯罪である。基地はNO!

 午前中に洗濯を済ませ、そのまま買い物に出かけた。クリーニングを預け、花束の注文をしておく。次に洗車に寄り、待つ間の時間を、花苗店で過す。すばるのトイレと、物差しと鎌を買う。シャボン玉を見つけ、孫が小さかった頃を思い出し、隣の子どもに買う。ジャックと豆の木は、春の移植らしい。

 天気は台風の影響で不安定であり、時雨が多い。ぱらつく雨に、涼しいのか、蒸せるのか分からない不快感だ。水遣りをしないだけいいか、とうっとうしい曇り空を見上げる。百日紅が咲き誇っており、微かに匂いもしてくる。夏中を咲いてくれるので有難い樹だ。小さな苗から、天を射抜く勢いに圧倒。

 すばるの格好が面白い。仰向けになって寝ているが、頭を腕乗せに預けている。我が家に来て、1年6ヶ月が経つ。昨年は、体も小さくて、居ても鳴き声さえ出さずだった。今も静かに過ごしているが、体は大きくなっている。抱き上げると重い。未だに甘えて、脇に擦り寄って来て、チュウチュウだ。

 板敷の場所が涼しいらしく、窓にもしてあるので、寝っ転がっている。餌を口にしては、見ている限りは眠っている。外にには出せないので、お決まりの日課だ。留守中は何をしておるか?図体が大きくなって、箪笥の上には上がらないかと思っていたが、帰宅すると雪崩れが起きている。押し入れ注意。

 フェンスに絡まそうと、枝を延ばしていたが、突然脇芽が出てきて、すくすくと育った。


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