枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

卯月、下弦・小潮

2019年05月27日 | Weblog

 曇り空である。朝の中は晴れていたのが、昼前に差し掛かると曇りはじめ、薄日の天気なった。Aさんちに水を分けてもらいに行き、卵を買って帰宅する。すばるのトイレを換えたら、本日の予定終了。眠りの森の美女のDVDをかける。ヌレエフ版。舞台は、森下洋子さんしか知らない。

 塵出しを忘れていたので、袋が一杯になるまで入れる。毎日とかでないので、ある程度集まってから出す。夏場には、小さめの袋で出せば、臭いも籠らずコバエも湧かないのだが、ついつい面倒くさくて溜める。人暮しだからでもないが、倹約節約でやれば、少しでは出せないのもある。

 昨夜は、クレオパトラを観ながら、転寝をしていて、気づいたら丑三つ時であった。勤務先では祟りからか、何かと予期せぬことが起きているが、そういうのを今更のように言わないで。それって以前から話していたのを、信じて来なかっただけでしょう。莫迦みたいじゃないのと想う。

 誰が言ったの、気味が悪いの、怖がるだの。殊更強調することでもないのを、大げさに言い募るが、視えているこちらとしては、ちゃんと話していたのだから、莫迦にした態度であるのだが、そのことが判っていなかったのも可笑しい。わたくしに害をなそうとすれば、その見返りを受。

 それだからこそ、我が家の枇杷葉には、不可思議なパワーが宿っているし、信頼してくれれば、治療も効くのだ。何故かは知らぬが、宇宙との繋がりが強く働くのだ。然し、信じなかったり、自分都合で解釈しようものなら、その報いを受ける。森羅万象に操られる天空の不可思議さだ。

 ドクダミを抜いたり、枇杷葉の葉を見て回っていたら、髪に毛虫が落ちていたらしいが、不思議と刺されなかった。農薬を撒かないという気持ちが伝わるのか?野鳥も餌になるので、せっせと啄んでいる。葉を齧られるのは仕方ない。何もかもを人間が取ってしまうのは間違っているよ。

 網戸にしているので、外は気になるが、どうにも出られない。余り鳴かない仔なのか待っている。


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