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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

文月・立秋・中潮

2022年08月07日 | Weblog
 二十四節気 立秋 暑気強くとも、涼風吹き始め、秋の気配立つと言う意で、立秋と云う。毎年八月八日頃である。この処、午後になると天が荒れる。雷神も演奏に余念がないものの、曲創りのジレンマを感じるのか時々やけを起こす。地上に飛び交う稲妻も、綺麗だと眺める内はいいが高み目掛けての直球も。

 雨神も火消しに大わらわで、自身濡れそぼって嫌気が差すばかり。ちょいとね、春風に言い寄ったんですわ。ところが夏風に機嫌を損ね、肘鉄くらってしまうわ秋風にそっぽを向かれるという為体。えっ?誰が本命なのって、そこんとこ考えてなかったのよ。其々に美人だし、俺ってもてるんだと自惚れもあり。

 自然現象も予測不可能って、気象庁では言うておりますが。為るべくして成った気がしないでもありませんな、少しは地球のことを考えて。空を観たり、鳥の観察を日々していると異常に気付くことが多い。その雰囲気と云うのか、変だなぁ・可笑しくないか?と心が騒めく。エンジェルナンバーが示すことも。

 拙ブログでの記載を、丁寧に読んでの方や其処に書かれていることの真意に気づく人は稀だ。それでもおいでになるというか、通じ合える方が居る。判らないと、怪我をしたり事故に遭ったりとなる。それが最近は頻回に起きて、予感的中に真っ青になるし心臓への負担が大きい。青い花なら好いが顔色では。

 夢を視なくなったのは、心が落ち着いているからだろうか。時々には不安が纏いつき離れないこともあるが、身軽になることで解消している。辛くとも哀しみで心が一杯になろうと、そのことを選んだのは自分でもある。夜空の星々を眺めながら、遠く遥か彼方へと心を翔けさせていくと満天の煌きが包み込む。

 庭の薔薇に、小さな塊が見えていたのが蕾になって咲いた。夏なのに涼しいこともあったからか、シャーベットピンク一輪。その横には、深紅の薔薇の蕾も綻び始めて。何処にも出かけなくとも自然からの贈り物は、受け取れるとうれしくなる。桔梗の白が背筋を伸ばして青空に立つ姿の、清々しい佇まいだこと。
コメント (4)
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