二十四節気 春分 太陽黄経0度、昼と夜を等分に分かつ日、とあって、春分と言われる。この日は、春の彼岸の中日とされ、毎年、三月二十一日頃である。鶯も翼を広げている気配がする。雨も上がってきて、陽射しもやわらかくあたる。知人のコサージュを作るのに、クリスマスローズを手折る。
花屋での注文でないので、見た目は程々であるが、胸に当ててみたら、丁度いい具合である。知人に連絡して、時間を聞いて待つことにした。その間に、通販で買った衣類を返品に行き、図書館で返却と、予約の書籍を借りて来た。車に乗ったら、センサーが反応して冷房になった。気温は上昇気味。
昨年に、枇杷葉の花芽茶を上げていた方が、きっと寸志をくれていたらしいのが、コサージュを入れようとして分る。大金が入っている。食い物にしか目がいかず、まさかと慌ててしまう。携帯をかけたら、そのようです。と言われる。今まで、誰もが価格を言っても払ってくれなかった。驚きです。
つましやかな年金暮らしで、この先が不安でもあるのを、ちょっとしたことでも、気持ちが通じるのはうれしいもの。色々な職種や、様々な方がいる中で、長く付き合っていこうとすれば、一方的なことだけでは済まないことも起きる。何よりも、枇杷葉茶を飲んでくれることに感謝を忘れないで。
人間は1人でなく、相手が居てこその援け合いだが、当然と思ったり、惜しんでいると、心掛けに妨げが出る。それでも偶には、これくらいのことが、何故分からないのかと思えることも。そういった方とは近づきたくないし、仕事も一緒には出来難いので、遠からず離れてしまう。やはり遣り難い。
そろそろかな、と玄関を出て、草を抜きつつ待っていると、やって来た。コサージュも気に入ってくれ、何やかやと土産を持たせて帰す。まるで娘と孫等である。服も似合っていて、うれしそうなのが可愛い。一番喜んでいるのは知人であるが、デザインも色も、見立ては間違っていなかったようだ。
この知人は、わたくしの作る寿しが大好物で、口を開けば今度は何時かと言う。材料を持って来ないと、と言いながら、日にちを教えると、満足な顔になる。親は健在であり、作れない訳でもない。煽てに弱いわたくしを、言葉巧みに誘導して作らせるのが上手い。わたくしは美味い寿しを作るだけで。
起き抜けのすばる。猫も、寝惚けることがあるんだ・・・と妙に納得する。ここから転げ落ちる。