枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

復旧の予算

2019年03月12日 | Weblog

 東日本大震災は、原発事故が起きて、被害が広がってしまった。電気会社は、綺麗で便利ばかりを謳って、原発の危険性には触れずであり、多大な過失は避けられない。そういったことには蓋をして、オリンピックや万博を行う。国債は増える一方、借金は返せない。税金をあげて更なる深みに。

 年金受給者が追い打ちをかける。施設の中でも、時間だけを遣り過すが、何かしようにも、今更思い付くこともない。子ども等からは遠ざかられ、勝手に生きよとばかりにされる。違うんだなぁ・・・人間としての基本と言うか、心構えが見当たらない。要は本人に躾ができていないことかもな。

 数日前の新聞記事に、子どもがこどもを産む。との見出しがあったが、大人にならない前に、こどもを持てば、躾等分からない。ネットを検索しても載っていないし、誰に聴いてみれば、という思いにもならない。スマホを片手には、育児はできないのだ。絵本を読んだり与えても、拘らないと。

 昨日も、タオル1本あれば、どんなに遊べるか知ってる?と問いかけたら首を振られた。鬼ごっこも、手品も、忍者ごっこも出来る。考えることをしないから、分からないのであって、工夫すればどんな遊びにもなる。子ども頃、祖母がしてくれたことを思い出す。今は機械に操られているばかり。

 テレビがないと、点けていなければ落ち着かない。観ているのでもなく、バックミュージック代わりだ。何も、クラッシックばかりが好いというのではない。ジャズも歌謡曲も然りだ。画面をぼんやり眺めるだけでは、心は虚ろでしかない。電気代も受信料も莫迦に出来ない。省エネには程遠い。

 テレビを止め、読書にして、DVDの観賞も出来る。JFKを観ながら、当時にもしかして?との可能性を考えても分からなった事実に、恐怖を感じた。戦争をすれば、途方もない金額が予算で出るし、懐に転がり込むのも破格だ。国民の税金を投入して、国を守る建前にはならない。地球は誰の物?

 人類の疎かな過ちで、破滅に近づいている事実を知ろう。沖縄の辺野古への工事も止め、アメリカに倣えは中止だ。戦争は避けねばならないのが、分からないというのも不思議だ。その基本を作ってはいけないし、建設する強引さにも問題がある。地球は、青い星でもある。全ての生き物の棲む。

 月を観ていると、まるで天女が舞っているようにも想える。たおやかで楚々とした美しさ。

コメント
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