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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦・雛祭り

2017年03月30日 | Weblog

 汎うららとした天気だが、春霞とも言うのだろうか。頭に靄が掛かった状態である。今朝は、早出であったので、弁当の仕度はできていたが、何となくだるくて、昨夜は風呂を中止にした。湯たんぽがあるので、寒くて眠れないということはなかった。

 春は曙とも云うが、実際ゆったりと時間が過ぎて往くようだ。勤務先から買い物に出、咲き始めた桜を認める。気の早い連中は、いそいそと繰り出していた。この暖かさで一気に綻んだ模様だ。咲いたと思ったら、散ってしまう桜の儚さであろうか。

 数年前に上京した時には、墨田川の桜を見に行ったのだが、向かう端から蕾が綻んで、それは見事だった。滝廉太郎が『花』と名づけた所以だ。ブラタモリでもしていたが、江戸から明治、大正・昭和と、あの堤の賑わいを描く。錦織り成す長堤に。

 赤穂・浅野内匠の守が、江戸城内で起した、刃傷・松の廊下の事件は、この時期である。弥生十四日は、日中の気温は高く、湿度も高い。木の芽立ちともいい、気温の変化が著しい。神経を張り詰めて、上皇や勅使のもてなしには、極度感が。

 然も、刃傷を起して直ぐ、切腹である。喧嘩両成敗である筈が、田舎藩主というだけで、領地の没収、浪人に成り下がらなければならなかった。大石内蔵助は、その難事によく耐え忍び、主君の仇討ちを決行したのだ。討ち入りには浪士の忠義心。

 原発には、安全も安心もないと、断言しているのに、裁判で覆すなら、その理由と責任は誰が負うのか問いたい。わたくしたちの未来を、誰が保障できるのか?再稼動で得る物もあるだろうが、失う物の方が多いのに、再稼動する判断は誰が取る。

 住んで居る人等の命と引き換えだとしたら、何と安くみられているのだろう。一時の儲けなど微々たるもので、実際に地震や津波が襲ったら、瞬時に消えるだろう。事故は起きるし、絶対に安全と言う保障は、誰にもできないよ。再稼動はしないで!

 揚羽蝶の蛹。暖かいのはまずまずだが、孵化できる気候でもなく、小さな命を思い遣ってしまう。

 

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