昨夜は、雨音の強さを知っていたが、氷雪の殺人に集中してい、出窓を開けていたのに気づくのが遅れた。風を伴う激しい雨に、観葉植物が倒れては、と慌て起き上がる。今朝方まで、ごうごうと呻る風音であった。雲の多い空だが、布団は干せない。
洗濯物は、物干しでくるくると好く乾く。天気にはそれなりの、雨にも負けずでいきたい。自然への憤りは的外れで、人間への警告と受け取らなければ。阿蘇山が噴火するのも、地球から人類に向けて、云わず永もであろう。地球は誰の物でもないんだ。
例年、秋にも咲いていた紅い薔薇が、今年は蕾さえ付けない。猿年には、見ざる・云わざる・聴かざるだったことも、彼方に往っているのか。来年は鶏。騒がしく、綻びの破れる年かな。風見鶏も、錆が出てくるかもしれない。首が回らず負債は膨らむ一方。
内田康夫の全作品を読もう、と決めたものの、つまらない作品もあって、中断しては続行状態である。氷雪の殺人に、肝心な枚数が抜けている。自衛隊も、国防省にも縁がない、庶民としては、その内容に驚くばかり。でも、こういったことはあるんだろう。
いきなりP278から、P285に飛んでいる。何故?故意に抜き取って製本したか、出版社への威嚇かな?とも思える。肝心な場面がないことに、読者が気づかぬ筈は無く、作者との了解の元に出版されたものか疑問が残る。この部分をコピーしておく。
マイクロバスの事故があったようだ。個人的には、土日を休まずに、健全なスポーツと称する運動に、親も同伴で行くことには、反対の気持ちがある。子ども本来の姿には、義務教育が軸であり、休日の運動には、身体や心が健康な状態が望ましいが。
月曜日の朝、慌ただしく起きて、朝食もまともに摂らず学校に行き、朝礼の時間さえ立っていられない児童もいる。寝不足が原因かどうかは別だが、お揃いのユニホームや地元以外への遠征を、そこまでする必要があるのか?以前にも同じ事故が有。
山茶花。お茶の花も可憐だが、晩秋を彩る趣きに心が洗われる。子ども日の懐かしさの中に、祖母の姿が浮かぶ。