帰宅途上の西の空に、黒雲が形作っているのは、異様な大蛇と魔人の姿。其処に争いを止めるかのように白蛇が遮る。天界の異形の吸い寄せられていく。危うくハンドルを誤るところであった。今回の台風の影響がどう出るか。人智を超える災害になりそう。
孫の修学旅行の日数だけ、どうにか天気がもってくれた。無事に行ってこれたことに、感謝をする。引率の先生も大変だが、生徒達もそれなりに楽しめたことだろう。一昔前とは違うが、あのわくわく感は、変わらない気がする。奈良に行きたくなったがさて。
野良猫が徘徊しているのに、生ゴミや塵を、外に放っているのは常識を疑う。最初は、知らないで放置しているのかとも思ったが、2回目ともなると、驚きを通り越す。片付ける手間も然りながら、収集日に合せて出すのではないか?住民としてのモラル欠如。
子どもの躾は、どの時期までだろうか?立志式は、元服であった。昔には、ここで一人前として仲間入りし、家督の相続や、大人として認めてもらう気構えを培った。学ぶことも、家を守ることにも、采配を振らなければならず、そうして生きる術を身につけたが。
時代は変わったとはいえ、人間の思考は然したる変化も無い。職業を選ぶにも、差別は無いが、頭脳には違いがある。悪の道に入って行くのも、自分の信念を曲げず、ひたすら疑問に思えることに没頭するのも、左右に分かれただけかもしれない。人生は愉。
若い時に悟れば、以後の人生は無我の境地に至るが、歳を経て解かることも多い。気づけること、成程と思えることにも、長い人生を歩んできたからこそ、知り得たことでもある。輪廻転生にはあらず。否、生まれ変わっても、本来の使命を思い出せないのかも。
枇杷葉の下で佇んでいると、不思議な気持ちになったり、浮かんでくる光景がある。あれはきっと、自分の使命を忘れないように、自然から警告してくれているんだ。枇杷葉との語らいには声を出さずとも聴こえ、心に浮かんでくるが、自分を無にすることかしら?
枇杷葉の葉の上に、コロボックルが居た。人間の眼には触れないようにしていて、蛙と素早く入れ替わる。