リエさん。花芽がついたよ!葉先に膨らみが見えるので、数えてみたら10個ほどあった。木丈が伸びているので、上の方には目が届かないけど、結実は別として、年数の経ったことに驚く。最初に花芽が付いた長崎茂木は、4年目と言う速さだった。
年数を間違えているのではない。孫の誕生が同じなので、不思議なことと憶えている。孫の後で咲いている写真がある。その孫も14歳で、背丈は高くなって、祖母を追い越す。種を植えて3ヶ月で発芽し、3年はそのままにして、植え替えるのがいい。
色々と遣ってみて、失敗も多くあった。たくさんの苗木があっても、品種に由っては、一向に育たないのもある。長崎茂木も、白茂木になると、確率が低い。静岡の土肥枇杷が繁っているのは、自然からの贈り物としか思えない。殊に希な発育だろう。
とても不思議なことだが、神さまが善を行うよう、きっと託されたのだと想える。それに、この手で触れた枇杷葉には、自然からの力が宿る。信じてくれる人には、効力を発するようだが、そんな物には、何の効果もある筈が無い。と言い切れば失せる。
即ち、自然への感謝の心だろう。単にそういう役目を渡しているだけで、個人の力ではない。多少はあるのかもしれないが、信じることで発揮されるのかも。非科学的なことには、人間の心理面が強く働くことがあり、数式や実験には現われないもの。
他かが枇杷葉であり、されども枇杷葉である。自然界との結界には、人智の及ばないエネルギーが潜む。邪悪な心で接すれば悪と化し、真っ直ぐな心ですれば善となる。然し、与える者には純真であっても、受け取る者が違えば、歪んだ結果となる。
自然への畏怖の念。敬い、尊び、心を無にする。悟りの境地には中々往かない。然しそれ故に、人であるのかも知れない。生まれる時にした使命を、この世で果たせねばならず、忘れて生きることもある。実に、神のみぞ知る。自然界の掟であろうか。
やっと晴れ間が見え、洗濯物を広げる。台風が沖縄に接近しているようだが、束の間の天気にほっとする。今朝には、小学校の孫が、京都・奈良方面への修学旅行。ちょうど本人の誕生日と重なって、お祝いができない。うれしそうな声に無事を祈る。
月の美しい季節。月は、大気の澄み渡る頃がうつくしいが、四季折々の様々な形も、また美しいもの。







