恒例の塩換え。時折、小雨がしのつくが、げんなりするほどでもない。当分は、この天気でいかねばと心構えをしておく。衣類も、長袖には暑苦しいし、夏の装いでもない。下半身を冷やすと、仕事ができない恐れがある。何ともちぐはぐな恰好である。
昨夜、鬼の集まりの写真を眺め、枕元に置いて眠った。何ということだろう、末吉暁子さんとの楽しかった、うきうきする時間が戻って、あの雰囲気の中で話し、笑いあっていた。ふと見ると、遠くに往かれていて、声をかけようとしたら、笑顔を残したまま。
あの頃は、毎年のように上京していた。編集長さんに原稿を見てもらうのも、鬼の集まりに参加できるのも、わくわくして華やいでいた。末吉暁子さんとは、新宿の“滝沢”で、数回お目にかかっが、こちらの不安を察知して、さりげない配慮をされる方だ。
田舎者にそういった気遣いをさせなかったことに、今更ながら想いがいく。態度や言葉の端々に、相手を思い遣る心が感じられて、その度に恐縮したもの。驕らず、昂ぶらず、単なる読者にも温かかった。病魔に侵されていた時でさえ、思い遣ってくれた。
写真には、がんこちゃん・いじわるバンバンを持って、二人で並んでいる。あの時には、佐藤さとるさん、村上勉さんのコロボックルコンビも居られ、興奮に舞い上がっていた。鬼の集まりで、一番楽しかった。どんなに願っても叶わない、今は夢の一時だ。
庭に下りて枇杷葉を眺める。今年は、雨のお蔭か、木丈が随分と伸びた。銀木犀が匂う。クリスマスローズの芽が、少しづつ出ている。夏の暑さを嫌うのだが、雨の降り具合で、腐ったのもある。枇杷葉の下に置いているが、増えるのばかりもないようだ。
そろそろ薩摩芋の収穫時期。葉は、バッタの類に齧られている。いい加減に挿したので、芋の大きさは不明だ。それにしても露草が勢い繁るのに、芍薬の消えたのが淋しい。あんなに綺麗に何輪も咲いてくれたのが、どうして消えたのかが分からないよ。
白薔薇が咲いている。朝顔の花に侘しさを感じる。気温の低くなるまでだろうか、ぽつんと枇杷葉に絡まって見える。青紫蘇も赤紫蘇も、穂が出てきている。毎年、このまま放っているので、いつの間にか芽が出てくる。手巻きに握りに重宝する有り難さ。
白枇杷と、山茶花と、紅葉のしてきたブルーベリーの葉。鮮やかな色にびっくりした。初夏には白い花が咲く。