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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧皐月、上弦・小潮

2015年06月24日 | Weblog

 恒例の接遇研修に参加する。講師が喋るだけの、意外とつまらない研修だった。内容は、それなりに難しいことを、解り易く話しているんだろうが、専門用語を使うなら、説明する技量が欠けている。話していることは、確かに正しいが・・・。

 戦後70年も経ったとは思えない平和な世の中に、沖縄の人々の犠牲があったことを考えているのだろうか。戦争へと突っ走ろうとしていく国会には、誰も逆らえないのか。これが民主主義の正しいやり方か?会期延長までして遣ることか。

 税金の無駄使い。金に不自由しないぼんぼんには、年金情報がもれていようが、沖縄の辺野古に基地を移設しようが、何等関係ない。福島の汚染状況など、痛くも痒くもないのだ。民主主義とは、自由で我儘の利く、便利な建前ばかりだ。

 合歓の花、梔子、紫陽花、泰山木、銀梅花、道端には、ヒメジョオンが咲き乱れる。卯月の頃から、白い花が目立つ。先日、青空市に出かけたら、杏があった。生食用ではなかったが、果実酒にしようと、焼酎に漬けておく。リエさん待ってて。

 薔薇も、赤や桃色、黄色が咲き終わり、白の清々しさが背筋を伸ばす。ミニバラは、蕾を膨らませ、かすみ草や桔梗も花開く。そろそろカラーが出て来るかな。プランターで咲いていたのを気づかず、ひっくり返して畑にした。芽が出て仰天した。

 今年の天気や気温の異常には、大地震の予兆のように感じる。異変が起きているのは、日本だけではない。世界各地で、異常気象に転じ、被害も甚大な有様だ。阪神淡路大地震以来、まるで神の守る門が、解き放ったようで、空恐ろしい。

 悲嘆の門。強烈な印象だった。宮部ワールドの非現実も、或いは真実かもと確信してしまう。物語の現実性も怪しさだけではない。もしかして、或いは、想像だけではなく、そこにある真実に、警告を発する。この世かあの世かも定かでないのだ。

 昨年は、閏長月が入ったので、長月は2ケ月あった。旧暦での暮らしには、季節を鮮明に想う。花芽の何と愛らしい。

コメント
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