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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

長月

2012年10月15日 | Weblog

 既に長月である。月日の経つ速さに、一瞬呆然とする。日中の気温は、体を動かせば汗ばむくらいだが、陽が落ちると途端にひんやりとする。秋の日はつるべ落とし、と言うが実に速い。金木犀と銀木犀が競うように咲き誇る。

 鉈豆の鞘が、採り忘れていたのも含めて、5つばかし枝にぶら下っている。赤鉈豆なので、取っておこう。枇杷葉は、小さい苗もあって、育ち具合は違うが、葉ぶりもよく繁っている。サルビアが、晩秋に鮮やかに咲いている。

 紅葉が待たれる今日だが、当分の冷え込みは先であろう。風邪の用心に、上着を出す。朝夕にジャンパーでは、ちと早い気がする。ついこの間まで、暑くてならなかったことも忘れ、寒さに備えている。こう季節感がずれると、体調も狂う。

 あけびの焼酎漬けを作っている。こうしておけば、何時でも誰にでも送れる。ジャム瓶にしておくのもいい。大きな瓶だと、割れはしないかと気を揉むし、届いた相手も送料に驚く。小さな瓶でも威力は変わらず、着いてから増やせばいいこと。

 今年は、いい具合に大蒜も、唐辛子も手に入った。無論、鉈豆もそうだ。リエさん、送った鉈豆は赤鉈豆だと思うよ。我が家で生ったのも、同じ青空市で買った豆で、赤い花が咲いた。大蒜は、置いておいたら芽が出ていた。

 昨夜、足の脹脛が吊るので、塩を擦りこんだら、今日は痛みがない。足元も冷えない。血行が滞っているためだが、効果が著しい。何よりも足が温かくなるのがうれしい。お蔭で湯たんぽは出していない。できるだけ我慢してみよう。

 恍惚の人。読み終える。最後を何度も何度も読み返した。死ぬことに恐怖感もなければ、魂の行方も定かではないが、看取ってくれた、いや・看取る側の心の有様で、死者は成仏できるのかもしれない。母が亡くなった時は、未だ逝かない思いがあった。

 父の場合には、面会をする内に、もしやという暗澹たる思いに、多少の覚悟はできていた。その差は、やはり態度にも出る。満足感はあろう筈もないが、心は安定していた。或いは、そういうものかとも考えられた。

 金星は、外合で宵。内合で明けとなる。新暦の1月になれば再び西の空に輝く。

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