視えない物の、見えることは不気味だろうか?感じるのは怖いのか?無理に見ようとしても視えない。風の色を感じ、雨の匂いを当て、自然の声が聴こえれば、即ち心で視られることに繋がる。庭に立てば、花のささやきが、虫の声が聴こえてくる。
以前、編集者の方に、耳を澄ませば、聴こえてくる筈だよ。と、言われたことがある。特に子ども相手の創作は、言葉に気をつけなさい。とも注意をされた。普通の言葉で、リアリティの溢れる内容にすれば、読者は引き込まれるよ。
花にも種類があるんだから、お花が咲いていました。では、どんな花か、匂いはするのか、色や形はわからないでしょう。そういった文章を書かなければ、さっぱり伝わってきません。編集者を先ず読む気させなきゃ。それも最初の3行でです。
昔々、お爺さんとお婆さんがいました。二人はどんな容姿なのか、暮らしは、その周りの風景は。山の中か、海の近くか。二人は、太っているのか、痩せているのかに加え、時代設定や、ジャンルも決めねばならぬ。伏線も必要なのだ。と教えられた。
だが然し、編集者に読んでもらうことができても、出版できるとは限らない。何かの募集要項で応募して、受賞できたとしても、それで食べていけるには、困難な路が前方に待っている。どんな世界も決して甘くない。本が好きなのは、活字に触れられる歓びがあるからだ。
心が豊かになり、知恵や勇気を授けられ、夢や希望を持てるから。自分の行くべき道標。迷っても違ってても、向かうべき方向であるからだ。諦めないで努力できるから、踏まれても立ち上がる、麦のような芯のある強さを備えたい。
穏やかな暖かさが続いていたが、急に寒さがぶり返した。風の冷たい日に。