昨年、小寒でドクダミを掘ったら黴がわいた。一昨年には、大寒の雪の降った後で掘った。これはとてもよく乾いて、甘い味がした。今朝は天気で、穏やかな日差しが溢れていた。布団を干し終え図書館に行く。返却と貸し出しと予約をして外に出たら吹雪である。
遭難するかと思った。なんなんだぁ~!家に着いて、昼食(ちゅうじき)を戴いていないことに気づく。久々の粥にした。ガスに雪平をかけ、水を張った。米は研いでおく。木のしゃもじで混ぜる。お湯を足して焦げ付かないようにし、蓋をして火を止めた。
その間に、蜆の味噌汁を作る。寒中の頃に、祖母が滋養になる。と、川まで行っていた。寒中のことである。昼飯を済ませるとあたふたと出かけた。それでも川の水は冷たい。石垣には氷柱がぶら下っていた。
祖母は、大きめの蜆を数十個取ると、小さいのは砂に戻し、笊を抱えて足早に帰る。裏の井戸端で砂を吐かせ、夕飯の時に汁になった。顔にかかる湯気の温もりと、醤油の香りが忘れられない。直ぐ其処にまでやって来ている春を待つ、行事の一つだった。
氷餅や、花餅もよく作ってくれた。田畑の担い手は、祖母と母であったが、労働は子どもにも強いられ、手伝いは当たり前の仕事だった。今は懐かしいことも、当時は厭でたまらなかった。食べていくための知恵を、祖母は教えてくれていたのに・・・。
旧暦での行事を思い出す度に、祖母や母との想いが甦る。大きくなってからではなく、小学校の低学年の頃だ。何故か不思議と覚えている。いろんなことに興味があり、仕出かすことは失敗ばかりであったが。
山に入って、山繭や三椏、がんび、楮の皮剥ぎをしたのもこの頃。春に新芽を出せるよう、枝の打ち方は決まっていた。場所も木の大きさも、その年にできる範囲は決められていた。人間が自然との折り合いをつけていた。
夏場の水遣りに、零れた種が発芽し、大きくなっていたコリウス。