百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

学校飼育動物の実態把握で

2006-10-26 17:41:10 | Weblog

 10月26日  (木) 
            平成17年1月1日より664日目
                 歩いた歩数   其の距離
                         本日    18,327歩    12,829m
             総計  9,561,217 歩  6,692,852 m
    武漢から九江・景徳鎮・黄山・蕪湖を経て南京を目指す。蕪湖ま197,298m

  動物愛護の立場から、小学校で飼育している動物の実態を把握して、飼育環境に相応しい管理などの助言をする、そんな目的で学校巡りをした。

         
                木島平南部小 鶏小屋 

  南部小学校にはチャボが飼育されていた。すべてのチャボに名前がつけられていたのは愛情と関心の深さを感じた。オスの蹴爪の長いのに驚いた。

         
              木島平北部小 ウサギ小屋

  北部小学校には教室でハクビシンが飼われて居るという。3年から飼ってきて今6年生になって来年卒業するのでその後の飼育をどうしたらよいか悩んでいると聞かされた。学年を指定して引き継いでくれば悩むことはないのだが・・・と忠告したが、愛情が移って渡せなくなって此処まできてしまったと言われ、さもあらんと納得した。動物園にお願いするのも一手だが・・・。

 ウサギのほかハムスターも居るというが、理科の先生が熱心でそのほかモンシロチョウの越年飼育やメダカも飼っていると。宇宙メダカの話をすると、「うちが本家本元」と胸を張る。頬の腫れたウサギが一羽隔離されていた。

         
                頬が腫れているウサギ

         
                倭小のウサギ小屋

 倭小学校ではウサギが一羽のみ。2羽いたが喧嘩をして傷つき合うので1羽を養子に出した、残ったウサギは健康でのんびり育って居るので幸せだと教頭先生は語る。


やまびこの丘公園へ

2006-10-25 18:22:11 | Weblog

 10月25日  (水)  ①
                          平成17年1月1日より663日目
                                    歩いた歩数      其の距離
                          本日       17,520歩        12,264m
                          総計  9,542,890 歩  6,680,023 m
         武漢から九江・景徳鎮・黄山・蕪湖を経て南京を目指す。蕪湖まで210,127m

          
                                             木島平村

  雨が上がってもったいないような秋晴れに妻を誘って木島平村の「やまびこの丘公園」へドライブ。勿論、愛犬「大ちゃん」も乗せて行く。

 観光が売り物の木島平にはスキー場のほかホテルシューネスベルク・馬曲温泉望郷の湯・ケヤキの森公園ややまびこの丘公園などがある。あまり観光事業への投資が大きいため平成の大合併に乗り損なったと言うハプニングもあったが、それはそれとして、こんな晴天では腰が落ち着かない。「やまびこの丘公園」へハンドルを切った。

          
            やまびこの丘公園     公園の食堂

 車中、大ちゃんは例により、口を大きく開け長い舌を出してハアハアと荒い息をして落ち着きのない仕種を繰り返していたが、公園の広い草原に着くとすっかり元気を取り戻して超スピードで走りまくった。それは今まで見たこともない姿勢、丁度競走馬がゴールに駆け込むあの姿であった。独房に幽閉されていた囚人が無罪放免になったような気分に浸ったことだろう。丘の起伏の波の彼方に姿を消してしまい、何度も心配させられたが何処からともなく風のように舞い戻ってきた。

 驚いたことは、大ちゃんがウサギに近づくが、ウサギと鼻を突き合わせる所まで来ると後ろに跳び下がって戦闘態勢をとったことだ。どうやら怖いらしい。犬たる者がウサギを怖がるとはナンセンスだ。

  子供たちの騒ぐ音の方に行くと不思議な4輪車に乗っている居る子供たち、大きな滑り台で繰り返し滑り降りする子供たち、空中ブランコで往来する子供たちの遊ぶ広場に出た。大ちゃんがその広場に勢いよく走り込んだので、一時、子供たちはパニック状態になったが、直ぐ慣れて寄ってきた。

 大ちゃんが喉が渇いたか水飲み場に近づき、子供たちが手で掬った水をさしだすと、待ってましたとばかり水を飲んだ。子供たちと大ちゃんの交流が始まった。家に近づく人には無差別で吠える大ちゃんが、まるで旧知のようにはしゃいで走りまくった。それを追いかける子供たちも楽しげにはしゃいで騒ぎまくった。多勢に無勢でさすがの大ちゃんも疲れてベンチに座る妻の陰に隠れるようになったので、帰ることにした。

  やまびこの丘公園の広さは広くて判らないが、花畑・山野草のコーナー・サッカー場・マレットゴルフコース・子供の遊び場など数え切れない施設が用意されているのを初めて知った。子供たちが飯山小学校の3年生で遠足に来たことも聞いた。大ちゃんも大満足のようだったが、私たち夫婦も大いに元気をもらった一日となった。

 バッテリーがあがって、デジカメが動かなくなったのが残念だった。

 


                         


パソコンの集い

2006-10-24 17:45:46 | Weblog

 10月24日  (火) 
                          平成17年1月1日より662日目
                                    歩いた歩数       其の距離
                          本日    16,865歩     11,806m
                    総計  9,525,370 歩  6,667,759 m
          武漢から九江・景徳鎮・黄山・蕪湖を経て南京を目指す。蕪湖ま222,391m

         

           
               綱切り橋の由来

  越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄は拾年にわたる争を一挙に決しようと永禄
    四年九月拾日川中島に相対した。世に言う川中島の大合戦である。戦記によ
   るとこの戦は前半は上杉方の優勢、後半は武田方のはさみうちにあって上杉
   方の不利と伝えられている。乱軍のうちに散りぢりになった上杉は態勢を立て
   直すいとまもんなく敗走した。大将謙信も主従わずかに数騎高井の高社山を
   左に見て漸く千曲川安田の渡しに謙信は日頃信仰する小菅神社に入ろうとし
   たが里人の忠告にしたがって渡し船に乗って千曲川を渡った。この時川西に
   張り渡した渡し綱を切って落し追手の追跡をのがれて事なく春日山に帰りつく
 ことができたのである。この時以来この渡しを綱切りの渡しと呼ぶようになった
  と言う。
    綱切橋は川中島戦史をいろどる綱切の渡しあとである。
                                                                                  飯山市

  「戦記によれば」というがその戦記は何なのか?謙信に従って居た鬼小島弥太郎の墓が英岩寺にあるが、長岡市の龍隠院にも墓があるという。

  戦記の名を知りたい。

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              ブルドーザ お宮の石段を登る

   障子戸をあけて天満宮を見上げると、ブルドーザがお宮の石段を登って行くではないか。慌てて車庫の屋根からシャッターをきる。それにしても石段を傷つけずに登るなんてたいしたもんだ。お宮の裏山の地すべり防止の工事がいよいよ始まったのだ。

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  老大のパソコン班の皆さん(全員10名)からパソコン勉強会を立ち上げて欲しいと要請されて、今日、2回目の勉強会を開いたが参加した者は女性3名のみ。気負いたってはじめただけに、腰を折られた感じだ。まあ自分のための勉強会と思って気長に続けて行こうヤ!

    


黄山到着

2006-10-23 18:04:22 | Weblog

 10月23日  (月) 
                          平成17年1月1日より661日目
                 歩いた歩数   其の距離
                          本日     18,759歩    13,131m
                         総計  9,508,505 歩  6,655,954 m
   武漢から九江・景徳鎮・黄山・蕪湖を経て南京を目指す。蕪湖まで234,197 m

                黄山到着

  目指す黄山が間近に迫ったので、今日は無理をして歩いた。それは今朝、「河北省との友好省県提携50周年記念」の旅行団に参加した飯山市日中の7名が出発した記念すべき日で、しかもこの旅行団は北京・保定・石家荘訪問のあと、黄山に行く計画がある。私は一足先に到着した勘定だ。

 黄山には沢山の思い出がある。第一回目は安徽省から「黄山に観光果樹園を開設したいのでご指導を」と言うことで訪中。二回目は飯山市日中友好訪中団を引き連れて黄山・景徳鎮・蘇州・上海の旅で行った。

 黄山といっても、黄山という山がある訳ではなくて、黄山は黄山市に聳える三十数峰の山々の総称で中国一の名山と称えられている。私はその黄山市黄山区に安徽省の要請で滞在していたので、黄山を隈なく案内して頂いた。

 黄山の観光果樹園を売り出すには、観光客に黄山区に逗留してもらわなければならない。その為には温泉を開発することを先行すべきだ、と強調してきた。そんな因縁から2度目の訪問では、訪中団員16名全員が栄誉証書を授与され、面目を施した思い出がある。

        横吹の句碑
                           横吹や 駒もいななく 雪嵐

        
                 始まった冬囲い


月の土地売ります

2006-10-22 18:47:42 | Weblog

 10月22日  (日)  ①
                          平成17年1月1日より660日目
                                    歩いた歩数   其の距離 
                          本日    16,589歩    11,612m
                          総計  9,489,746 歩  6,642,822 m
               武漢から九江・景徳鎮・黄山を経て南京を目指す。黄山まで12,328m

  今日はキノコ狩と張り切っていたが、拓本採りの道具の取り揃いに時間を取られてしまい行き損なってしまった。そこで20日、中国内蒙古雑技団の素晴らしい演技がチンギスハーンの生い立ちからハーンに就いて大陸に版図を広めて行くシナリオで演出していたことが忘れられず、チンギスハーンを検索してみた。

 検索して行くうちに、源義経が衣川の合戦に破れた後、中国に渡ってチンギスハーンとなったという説まで出てきた。と突然「Land of the Moon」に変わってしまった。

  デニ・ホープスというアメリカ人が1980年、「月の権利宣言書」を作成して国連に提出、異議が無かったので「Lunar Embassy LLD」を設立して「地球圏外の不動産業」を始めたというわけです。

                 
                     月の権利書

  「月の土地」は1エーカー(約1200坪)の広さで2,700円で、一人で何エーカーでも買うことができます。会社では欲しいと思った人達は誰でも買える値段で、できるだけ多くの人達に土地を持ってもらいたいと考えたのです。

  アメリカでは、1996年からネット販売を始めて、今では全世界で175ヶ国約130万の人が「月の土地」の所有者がいます。日本でも既に約65,000人の方がオーナーになっているそうです。

  私は自分で申し込んでオーナーになるのは一寸気が重いが、誕生日にケーキを貰うより「月の土地」の権利書を貰った方がうれしいネ!獏じゃないが、ケーキより夢を食べたいネ!

 この会社では 「火星の土地」も「金星の土地」も売っていますヨ。

 注文先  ㈱ルナエンバシージャパン
       〒107-0052
                 東京都港区赤坂2-19-8赤坂2丁目アネックス6F
       TEL 03-3560-3612
       Eメール info@lunarembassy.co.jp
                URL http://www.lunarembassy.jp/  

              
                                      月球儀