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per l/a psicoanalisi

Es-Se-Res (essere)

2015-11-25 17:51:32 | Essay
Es →Se.

存在 esse するとは、Es が Se、つまり自体的に回帰する在り方に他ならない。

どのようにして?

自体的なもの Se は、一 Unを原理にし、自らを分割する。その残り Res が主体の残余と落下する。

主体性 soggettivit�・ とは、そのような内在性 L'immanenza において、絶対的な assoluto 仕方で従属=服従 assoggettamento している Se なのだ。

ちなみに、イタリア語で se は再帰代名詞の目的格の用法がある。それ自体がそれ自体を指し示すのが、se の働きであり、それは再帰的 riflessivo であり、哲学的には内省・反射 riflessione と関係がある。(flessivo とは、「屈曲した」という意味。)

識者は、これを見れば、新プラトン主義やドゥルーズの議論を思い起こすだろう。

では、ここからどのようにして、私 Io が生じてくるのだろうか? フロイトが指摘した、エス l'Es から私=自我 l'Io はどのように派生したのだろうか?



語ることを精神分析の経験として定義するのは決定的だ。精神分析の経験は、語る経験以外にはない。だがそれは、理解され (com-preso) 構想される (con-cepito)、ヘーゲル的な発語の問題ではない。

《ハイデガーは、「言うこと (sage)」と「言葉 (Sprache)」の差異をそれ自体において考えようとする。つまりかれが探し求めているのは、「それ (Es)」を経験する言語活動の経験である。》Agamben, L'assoluto e l'Ereignis
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