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日々の出来事 5月20日 パイプオルガン

2018-05-20 10:17:32 | A,日々の出来事_








  日々の出来事 5月20日 パイプオルガン








 今日は、五億円のパイプオルガンが水浸しになった日です。(1996年5月20日)
浜松市にある“アクトシティ浜松”は、市有施設と民有施設によって構成される施設群です。
そのホールに設置されたパイプオルガンは、フランスのコワラン社製(価格が五億円)のもので、演奏会や各種学会や入学式などに使われています。



   ドラマ“警備員の呟き”(1996年5月20日)


-幕開け-

「 最近、施設内に悪戯が多いな。
非常ベルとか押すバカタレも居る事だし・・・。
困ったもんだ。
そうだ!
“ボタンを押すな!”の注意書きを貼る事にしよう。
備えあれば憂いなし!」

4分後

「 ムフフフフフ。
よし、出来た!
それじゃ、一番大事なパイプオルガンのホールから貼ろう。」

7分後

「 えっと、ボタン、ボタン、ボタン。
おっ、これだ、これだ。
上から注意書きを貼り付けて・・・。
剥がれないように、ちゃんと押さえて置かなきゃ。」

“ グリグリグリ・・・、プチッ!!”

「 わっ、押してしまった・・!」

“ ブシュ~ウ~~~~!!”

「 み、水が吹き出たァ~。
おわァ~、非常ベル、非常ベル!!!」

・・・慌てふためく人々・・・

-幕-


 水浸しのパイプオルガンは、解体されてコワラン社に送られ、修理復元されました。
また、ホール自体も、パイプオルガンにスプリンクラーの水がかからないように改修されました。
約三億円の損害です。
と言うことは、火事があれば、五億円+三億円は丸焼けかな・・・・。













    パイプオルガン(アクトシティ浜松)




























☆今日の壺々話















パイプオルガンの裏






 昔、私は高校時代をドイツで過ごしました。
完全寮制で、そこは授業棟、男子寮と女子寮兼食堂があり、更に三階にはグランドピアノとパイプオルガンがある講堂があって、思えばスゴい寮だった訳です。
またドイツは昔からの建築物を大切にしていて、うちも昔の建物を借りていたのですが、それが第二次世界大戦時の病院だったんです。
特に男子寮に至ってはナチスのマークが屋根裏部屋に残っているという噂もありました。
そして女子寮は四階建てでしたが、一階から三階までしか使用せず、四階は病院だった頃の備品が残っています。
 当然、好奇心で四階を覗くことはありましたが、薄暗い其処に乗り込んでいく人はおらず、私もきちんと見て回ることなく卒業したのですが、一度だけ、乗り込んだことがありました。
 当時、私たちはピアノを弾いて遊んでいたのですが、ふと、いつもは開いていないパイプオルガンの横にある扉が開いていることに気付きました。
中を覗くと、そこはパイプオルガンの裏側で、階段があり、更に階段は四階へと続いていました。

「 こんなとこに階段があったんだね。」
「 四階に行けるんだ。」
「 行こうか?」

元々退屈でピアノを弾いていた私たちは、その階段を登りました。
 登りきると扉があり、扉には鍵がありました。
ツマミを捻ると、ガチャッと音がして鍵が開きました。
先頭だった私が恐る恐るドアノブを廻すと軋んだ音を立てて扉は開き、更に階段があり四階へ行くことが出来ました。
 興奮気味に四階に入った最初の感想はカビ臭いこと、そしてまるでホラー映画の舞台のような場所でした。
斜めの窓から陽射しが頼りなく入り、広い部屋の隅には簡易ベッド等、改めてここが病院だったと思わせるものがありました。
 夏なのにひんやりとした空気に鳥肌を立てながら、隣の部屋へと歩き出したところで、一緒にいた子の一人が、

「 帰りたい。」

と言い出しました。
 私は、まだ先が気になったのですが、他の子達も帰りたいようなので、一緒に帰ることにしました。
そして階段を降り、途中の扉の鍵のツマミを回して鍵を閉めました。
 それから再びピアノで遊んでいたのですが、

“ ガチャ。”

と、パイプオルガンの裏の方から音が聞こえてきたのです。
 皆でパイプオルガンの方を見ていると、またガチャガチャと、当にドアノブを回す音が響いてきました。

“ ガチャガチャガチャガチャ。”

開くはずがありません、私が閉めたのです。
すると今度は扉をノックする音が響いてきました。

“ コンコンコン。”

誰一人、扉を開けようとはしません。
声すらあげられませんでした。
 そしてとうとう、音は扉を叩く音へと変わりました。
ドンドンと、強く扉を叩く音に、私たちは必死で声を殺しながらじっとしていました。

“ ドンドンドンドン!”

どれくらい経ったかは分かりません。
やがて、扉を叩く音が消え、静かになった途端に私たちは一目散に自室へと戻っていきました。
それから、さっきの音は何だったのか、と話しましたが、誰一人分からずです。
その後、一切この話題に触れることなく、私たちは卒業しました。

























オルガン







 家に、古いオルガンがあった。
母が、私が生まれるより前に中古で買ったらしい。
小学生のとき、一度だけ弾こうとしてみたが、ベース(足用鍵盤)の音が全く出なかった。
 高校生になって、三学期の中間考査の勉強をしているときだった。
テスト勉強は、本番の二日前か前日にしかやる気が出ずに、その時も、前日の深夜遅くまで勉強していた。
一時半になった頃、一階のリビングから、オルガンを弾く音が聞こえてきた。
(私の部屋は二階にあり、そこで勉強していた。聞こえた曲は、名前は忘れたけど、多分有名なやつ。)
ベース音がないので、とても頼りない音だった。
 この家でオルガンを弾けるのは母だけなのだが、母はもう寝ているし、この時間帯に弾くほど非常識じゃない。
オルガンの音を聞くのは久しぶりだし、この時間帯なので、少し怖かった。
 しばらく待ってもやめる気配がない。
曲もループしているし、気になって勉強できないし眠ることもできない。
仕方なく見に行くことにした。
真っ暗なのは怖かったから、廊下や踊り場の電気を全部つけながら行った。

「 ・・・・・。」

リビングの電気はついていなかった。
なのに、オルガンの音は聞こえる。
さっきより、音が少し大きい気がする。
母が弾いてるんだとしたら、どこか、頭がおかしくなってしまったのかも知れない。
そうだとしても十分怖いが、

“ 本当に、お母さんなのか・・・。”

などと考えてしまい、恐怖でリビングのドアを開けられなかった。
常識的に考えれば、オルガンを弾いているのは家族の誰かなのだが、現状が不気味すぎた。
 五分くらい固まって冷や汗を流していたら、突然、オルガンの音がやんだ。
なんと言うか、静かになると逆に、めちゃくちゃ怖くて、なにかあればすぐにでも泣いてしまいそうで、体の中心に向かってものすごい圧力がかかったように感じた。
 しかしそれをキッカケに、はやくドアを開けないといけない気もした。
静かな中に、にドアを開けるときの音が大きく響いて、かなりビビった。
真っ暗では何も見えないので、電気をつけた。
体は熱いのに、頭は、血が少ないのか寒くて、冷や汗が凄かった。
 オルガンの前に母はいなかった。
誰もいなかった。
 こんなことが、次の日もあった。
音がやんでからリビングに入ると誰もいないのだ。
母に話しても、わからない、知らない、寝ぼけたんじゃないか、などとしか言われなかった。
 また次の日も、オルガンの音が鳴り出した。
三回目でも相変わらず、というか三回目だけにかなり怖かったが、もう今回は音が聞こえるうちにリビングに入ると決めていた。
 二階から一階までをダッシュで駆け抜け、足がすくむ前にそのままリビングのドアを開けた。
ワンピースを着た女の人がいた。
私は、驚きのあまり声も出ず、体も動かず、なのに汗だけは体のどこかが壊れてしまったように流れていた。
 女の人がゆっくり振り返った。
暗い上に、結構距離があったので顔はよく見えなかったが、空洞の眼が気持ち悪かった。
口は私よりかなりおおきかったと思う。
顔もすごいが、それでも一番印象的だったのは足がないことだった。
それが、普通の人間を見慣れた私にとって視覚的に圧倒的に違和感があった。
 女の人がいきなり絶叫した。
動けない私は、泣いてしまった。
踏み潰されたような声を出して泣いてしまった。
女の人が絶叫している時間は無限にも感じられたが、実際は数秒だったのだろう。
 私は逃げ出した。
女の人に背を向けるのは本当に怖かった。
しかし、私は全力でリビングを飛び出し、玄関を駆け抜け外に走り出した。
家の中にはいられなかった。
女の人がついてきていないのを確認して、そのまま朝まで外で過ごした。
 朝、家に女の人はいなかった。
家族は何も知らないようだった。
あのおぞましい絶叫も聞かなかったらしい。
 その一ヶ月後、私は交通事故にあった。
自転車でバイクとぶつかった。
下半身に後遺症が残った。























田中






 小学生の頃、理科実験室。
実験室の机で、担任の先生が四角い金属のお皿に入った布に、ビーカーに入った薬を掛けたとき、後ろの席から“ブォン!”って音がして田中が屁をこきました。

クラス爆笑 田中も爆笑 先生も爆笑!!!

そして、先生はそれに気を取られたのか布に薬を掛け過ぎて、布から煙が“ブオ~ッ”って出て来ました。
 先生は慌てて煙を止めようとしたのですが煙は止まらず、そのうち非常ベルが鳴り出して全校避難ってことになって、消防車とか、たまたま通りがかった市会議員の視察団とかが来て大騒ぎになりました。
 そして、帰りの会のとき、校長に怒られて教室の隅で涙ぐむ煙を出した先生、女子たちもボロボロ泣いてて、

「 田中君がおならをしたのがいけないと思います!」
「 私もそう思います!!」

の大合唱。
田中は、“ええ~~~っっっっっ??!!!”って顔してました。
その田中を見て、クラスの男子は声に出さずに腹抱えて笑ってました。
 翌日、田中の屁に引火して理科室が吹き飛んだことになってて、それ以来、田中はこの町一番の有名人となったのです。






















田中





 関東から関西に引っ越すんだけど・・。  
なんかいろいろ文化の違いがあって心配です><  
標準語で話すといじめられますか?  

標準語なんて使ったらいじめられるとか言うレベルじゃねえぞ。  
家族親戚田中まとめて惨殺される可能性あり。  

田中理不尽すぎる。



















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