大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の出来事 1月8日 アメリカ合衆国皇帝 ジョシュア・エイブラハム・ノートン

2018-01-08 08:00:00 | A,日々の出来事_




  日々の出来事 1月8日 アメリカ合衆国皇帝ジョシュア・エイブラハム・ノートン




 今日は、アメリカ合衆国皇帝ジョシュア・エイブラハム・ノートンが亡くなった日です。(1880年1月8日)
ジョシュア・エイブラハム・ノートンはイギリスで生まれました。
生まれた日については、1811年1月17日、1819年2月14日、1814年生日不明と諸説があります。
そして、1849年にアメリカのサンフランシスコへ移民し、不動産の取引をしていましたが投機に失敗して破産、世の中の矛盾を感じたノートンは“帝国主義的権力を一身に備えた皇帝のみがこの国家を救うことができる”と考え、自らサンフランシスコの新聞各社に次のような手紙を送り、“アメリカ合衆国皇帝兼メキシコ国摂政ノートン一世”であることを宣言しました。

「 大多数の合衆国市民の懇請により、喜望峰なるアルゴア湾より来たりて、過去九年と十ヶ月の間サンフランシスコに在りし朕ジョシュア・ノートンは、この合衆国の皇帝たることを自ら宣言し布告す。」

この布告のもと、ノートン一世の21年間のアメリカ統治は始まりました。
 ノートン皇帝は、プレシディオ陸軍駐屯地の将校から譲られた勲章の付いた金モールの青い凝った軍服を着て、羽飾りの付いたビーバーの皮製シルクハットを被り、支配下にあるサンフランシスコの街路を頻繁に視察に訪れました。
そして、この過程でサンフランシスコの不備を見つけると“皇帝勅令”をもって改善を命令しました。
 サンフランシスコ・ベイブリッジの架橋命令は、この勅令で1872年に指示され、1933年にようやく建設が始まりました。
また、ノートンは皇帝としてあらゆる公の行事に出席し、サンフランシスコ市民にも親しまれていました。
 ノートン皇帝は、“合衆国皇帝ノートン一世陛下御用達”と表示された最上級のレストランに対して、寛容にこの表示をすることを許し、店の売り上げを上げることに貢献し、代金無しで食事をしました。
さらに、音楽堂と劇場では皇帝が二匹の犬ラザルスとブマーを連れて貴賓席に現れるまで幕を開けることはありませんでした。
 また、ノートン皇帝は、マーク・トウェインの小説“ハックルベリー・フィンの冒険”の王様のモデルであり、その愛犬ブマーが死んだ時は、マーク・トウェインは墓碑銘に“年月を重ね、名誉を重ね、病を重ね、そしてシラミを重ねた”と書き送っています。
そして、ノートン皇帝は、独自の少額の紙幣を発行し地域的にはこの紙幣は承認されており、現在、この紙幣はコレクターに高額で取り引きされています。
 このノートン皇帝の治世は、1880年1月8日、科学アカデミーでの講演に向かう途中で倒れたことにより終了しました。
ノートン皇帝の崩御をアメリカの各新聞は掲載し、サンフランシスコ・クロニクル紙は“王は逝けり”と一面で報じています。
 そして、ノートン皇帝の葬儀はパシフィック・クラブが資金を集め、大規模に行われました。
その葬儀の規模は、3万人が参列し、棺に続く葬列は2マイルに及んだと言われています。
また、1980年サンフランシスコでは、合衆国皇帝ノートン一世の死後100年を記念する数多くの式典が開かれました。

 日本も含めて、どこの国にもこれとよく似た人はいますが、アメリカの1870年の国勢調査で“ジョシュア・ノートン、住所:コマーシャル・ストリート624番地、職業:皇帝”と公式に認められた人は、この人だけでしょう。










☆今日の壺々話








立川談志の話





 フランスの皇帝が戦地に出向く前に、留守中の妃の貞操が気になって、国一番の鍛冶屋に、頑丈な貞操帯をオーダーし、それを妃に装着した。
しかし、皇帝は考えた。
これで留守中の妃の貞操は安心だが、万が一自分が戦死し戻れなかった場合、鍵を自分が持って戦地に行っては、その後の妃の女としての人生を束縛してしまう。
皇帝は出掛けに、城に残る大臣の中で一番信頼のおける男に、貞操帯の鍵を預けて戦に出発した。
城を出てしばらくすると、

「 皇帝!皇帝!」

と声がする。
振り替えると先程の大臣が走って追ってきた。

「 皇帝!鍵が違います!」











食人鬼が皇帝になるまで
     ~新聞の適当さ~




 『 新聞の見出し 』


「凶悪な食人鬼、巣窟より脱出」
 ↓
「コルシカの鬼、ジュアン湾に上陸」
 ↓
「怪物、ジァップに到着」
 ↓
「虎、グルノーブルで一泊」
 ↓
「簒奪者、リヨンを通過」
 ↓
「暴君、首都に60里に迫る」
 ↓
「皇帝、フォンテーヌブローに」
 ↓
「皇帝陛下、昨日チュイルリ宮にご帰還。臣民、歓呼で迎える」


 ナポレオンは1815年、流刑先のエルバ島を脱出しマルセイユ付近で上陸、パリに向かって再びフランスを支配下に置きました。
これは、その期間のナポレオンの動向を伝える官製新聞「ル・モニトゥール」の見出しです。
マスコミが世論を創り出そうとしたのか、雰囲気にマスコミが迎合したのか、さて・・・。









朝日新聞の用語集



・「しかし、だからといって」
→ここから先が本音であるという意味

・「議論が尽くされていない」
→自分たち好みの結論が出ていないという意味

・「国民の合意が得られていない」
→自分たちの意見が採用されていないという意味

・「異論が噴出している」
→自分たちが反対しているという意味

・「政府は何もやっていない」
→自分たち好みの行動を取っていないという意味

・「内外に様々な波紋を呼んでいる」
→自分たちとその仲間が騒いでいるという意味

・「心無い中傷」
→自分たちが反論できない批判という意味

・「皆さんにはもっと真剣に考えてほしい」
→アンケートで自分達に不利な結果が出てしまいましたという意味

・「世界から」
→中国、韓国および北朝鮮からの事

・「アジア諸国」「他国」
→中国、韓国および北朝鮮の事、それ以外の多くのアジアの国は含まれない









インド君とアメリカ君



(その一)
うちの会社のインド君とアメリカ君の会話


花火大会にて

イ「 た~まや~!」
ア「 か~ぎや~!」
イ「 さ、言う事も言ったし浴衣のネーチャン愛でに行こう。」
ア「 お供しやっス!」



(その二)
うちの会社のインド君とアメリカ君の会話


カナダ君が来日する事になって

イ「 また外人来んのかよ~!そいつ日本語できるんだろうな!?」
ア「 先輩、俺らも外人っス。」



(その三)
うちの会社のインド君とアメリカ君の会話


居酒屋の座敷で立ち上がろうとしたアメリカ君

ア「 よっこい…しょういちっと。」
イ「 昭和か。」



(その四)
うちの会社のインド君とアメリカ君の会話


ある日のAM11:45頃の会話

ア「 あ~……お茶漬け食べたい…。」
イ「 鮭なら(給湯室の棚に)あるぞ。」
ア「 軽く行っときます?」
イ「 だな、昨日飲んだし…。」



(その五)
うちの会社のインド君とアメリカ君の会話

カナダ君が来日して
カ「 えー、本日より○○部でお世話になります、カナダと申します。
 まだ若輩者なので右も左も分かりませんが御指導、御鞭撻のほど(後略)」
イ「 負けた…。」
ア「 …………。」










天皇陛下は超激務



閣議決定された書類への署名や押印 2万2377件
外国の国王や大統領との面会 351回
外国の首相などとの面会 1068回
着任した外国大使から書状を受け取る儀式 597回
首相や最高裁長官の親任式 24回
大臣や大使など認証官の任命式 355回
大綬章など勲章の親授式 40回
文化勲章の親授式 20回
様々な功績者との面会 1494回
赴任する大使との面会 476回
帰国した大使から話を聞くお茶会 153回

以上、皇居にて 4578回(署名や押印を除く)

記念式典などの出席 356回
地方への訪問 246回
福祉施設などの訪問 172回
被災地へのお見舞いなど 15回
外国訪問 14回

以上、皇居外にて

これ以外に、神道の祭祀を日々こなしている。


これどれくらいの期間での事?


陛下就任以来なので、19年と数ヶ月。
神道の祭祀関連が最も過酷だとされるが、見えない部分なので省略した。










ある意見 “天皇と皇帝について”



意見

 普通に生活して、普通の教育を受けている方なら、聞いたり思ったりする事もあるかもしれません。
「天皇って何してるの?税金の無駄じゃないの?」
知らなきゃそう思うのも当然。
と、いうか教えてもらえないこと自体が異常なんです。
今回は、まずその話しをしましょう。

 まず、天皇陛下が普段なにをしてるかというと、お祈りしてるの。
“国民が幸せになるように、日本が平和であるように”って。
いやマジで。
と、いうのも天皇陛下は神主の総長みたいなもので、例えるなら日本神道の法王なのよ。
皇と兼任だから法皇ですな。
なので祈るのが仕事。
 「それくらいならいらん」と言う人もいるだろうから、今度は判りやすい価値の話。
世界で一番偉い人って誰でしょ?
判りやすく言えば、世界で最も権威のある人。
もっと砕けて言えば、世界で最も地位が高い人。
ぶっちゃけて言えば、皇帝が一番偉い。
以下法王、王様、大統領、首相の順に続く。

 一覧にするとこんな感じ
皇帝(emperor)≧法王(Pope)>王様(king)> 大統領(president)>首相(premier)

皇帝と法王の間は一応≧にしてるけど、ほぼ=。
ちなみに法皇だと皇帝と法皇兼任ですので更に偉い。

で、これを現在の世界情勢に合わせてみると・・・
天皇陛下(emperor)≧ローマ法王(Pope)>英国女王(Queen)> アメリカ大統領etc(president)>日本国首相etc(premier)

 っつーわけで、天皇陛下が一番偉い。
と、まで言わないが、世界で2トップのうちの一人なのよ。いや、マジで。
言い方によっては、先に書いたとおり日本神道の法皇なわけだから、ぶっちぎりで偉いともいえる。
ただ、白人にとってはキリスト教以外はどうでもいいので、普通に皇帝(emperor)扱いですな。
 そんな訳でエリザベス女王だって天皇陛下と同席するときは上座を譲るし、当然アメリカ大統領だって空港へホワイトタイで出迎えます。
ちなみにアメリカ大統領がこの歓迎の仕方をするのは、天皇陛下とローマ法王と英国君主のみ。
 アメリカ大統領に最敬礼させられるのはこの3人のみといったほうが判りやすいか?
ついでに言うと現存する最古にして最後の皇帝。
文化的にも世界遺産並。
そんな偉い人が国を行き来するもんだから、皇室外交っていうのは、外交官1000人分の威力があるとか言われるわけです。
さすがに相手も気つかうしな。
 私見で言えば、世界的権威のトップ2の中にキリスト教徒ではない、しかも黄色人種がいるということは、世界の人種・宗教のパワーバランスにおいて、大きな価値があるとも思ってます。
天皇陛下いなければ、名実共に白人+キリスト教徒が一番偉い。ってなことになってしまうしね。
英国女王やアメリカ大統領でさえ敬うってのに、当の日本人ができないってのはどうよ?


・・・・・・・・・・・


さて、みなさんのご意見は?



















アメリカ留学




 三年前アメリカに留学してた時の話。
夜の10時頃にアメリカ人の友達から電話でビリヤードに誘われて、待ち合わせ場所のバーにチャリで向かった。
ごくごく普通なアメリカの平凡な住宅街。
100坪ぐらいある様なデカい家が並列に一軒一軒並ぶ様は、日本人の俺からしたら新鮮で何度見ていても楽しかった。

 ボーと見ながらチャリを漕いでいた途中変なものを見つけ、チャリを止めてしまった。

 ニット帽を被った黒人が車にスプレーで落書きをしていた。
明らかに危険な犯罪臭がしたが向こうは気付いてないし50Mぐらい距離があったから黙って見ていた。

 いきなり黒人が服を脱ぎだしたかと思えば車の上に乗っかった。
糞をした、あの体勢とあの鈍い音は間違いなかった。
もう行こうとチャリを漕ごうとした瞬間誤ってベルを鳴らしてしまった。

 気付かれた・・・ 。

 何かファックファック言ってるのはわかった。
やべーと思いチャリを漕いで離れたんだが、黒人の声が次第に大きくなってる。

 走ってた・・・凄く速い・・・。

 もう恐くて恐くて立ち漕ぎしながらダッシュで友達との待ち合わせ場所に向かった。
黒人は衰える事がなくひたすら走ってくる。
マジで尋常じゃないくらい速い。

 とにかく全速力で走りやっとバーについた。
バーの前にはアメリカ人の友達と、ギャル二人が待っていた。
俺は気が動転してたが頑張って説明した。
友達達は笑い俺を馬鹿にするが、恐怖が消えない俺は全く笑えん。
ギャル一人が硬直し「黒人ってあれ?」と呟いた

 いた・・・。
確かにニット帽被った黒人が走ってくる。
もう心臓バクバクだった、絶対に殺されると思った。
危険を察知したアメリカ人の友達はギャルにバーから助っ人呼んでくれと頼み、友達は上着を脱ぎ臨戦モード。
黒人がどんどん近づいてくるにつれてさらに驚愕。
下の服を着てない、下半身露出状態・・・。
さすがにアメリカ人の友達も凍っていた。

 黒人が俺達の30Mぐらい前で止まった。
アメリカ人の友達が「何のようだ?」と聞く。
黒人は息が荒く返事に答えず俺を睨む。
現場は妙な空気が流れる。

 その内バーから体格のいい兄ちゃん達が助っ人に来てくれた。
助っ人が黒人を見た瞬間に大爆笑。

 まぁ下半身露出して、息きらしてる黒人見たら普通は笑うわな・・・。
周りはバーから出て来たギャラリーで溢れるも、黒人は何もせずとにかく俺を睨む 。
当然のように騒ぎを察した警察がきて黒人は御用。

 後から知った事だが、その黒人は先ず殺人歴がある。
次に今回の事件当時、かなりの麻薬を注入しており精神が異常であった事。
最後にそいつは拳銃を携帯していた事・・・。

 今はどうなってるか知らんが、実際に起きた事件でニュースにでました。
ケンタッキー州の田舎で起きた怖い話です。















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