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日々の出来事 5月29日 替え玉受験

2018-05-29 22:44:12 | A,日々の出来事_






  日々の出来事 5月29日 替え玉受験






 今日は、明治大学の替え玉受験関係者が逮捕された日です。(1991年5月29日)
この替え玉受験が、何故バレタかと言うと、4月1日の明治大学商学部二部の入学手続きで、受験票の顔写真と学生証の顔写真が違っていたのが見つかったからです。
 この替え玉受験生は20人で、14人が合格、7人が入学手続きをしていました。
そして、警察に職員と学生ら3人が私印私文書偽造で逮捕され、関わった者の入学は取り消されました。
その内の一人が、“なべ やかん”です。

マスコミ各社取材状況

「 くそっ、なかなか家から出てこないな。」
「 でも、今日は出頭の日だから、必ず出てくるぞ。」
「 そろそろかな。」
「 あっ、出てきた!
それっ、行けっ!」
「 写真だ!」
「 写真だ!」
「 写真だ!」
「 あっ!」
「 あっ!」
「 あっ!」

“なべ やかん”は、裏本の股間アップで顔を隠して家を出て来ました。
これでは、写真を撮っても、必ず顔にモザイクが入ります。(発想がすげぇ~!!)
東京地検に“なべ やかん”が行くと、パンツにコカインを入れていた勝新太郎がいたので、感激して“心から来て良かった”と思ったそうです。







     なべ やかん






















☆今日の壺々話















 津田塾替玉受験事件 (1975年2月13日)







 名門女子大の津田塾大学でのお話です。
津田塾大学の受験当日、その女の子はとても人目をひいていました。
身長は165cmぐらいで、赤っぽい色のズボンに白いセーター、派手なコートで、普通の服装です。
 では、普通の服装なのに、どうして人目を引いていたのでしょうか。
それは、顔がオッサンみたいで、18才にしては、ツヤも無く、妙に老けているのです。
 実際この女の子の横に座った受験生も、初日の受験後、係員に言っています。

「 隣の席の人なんですけど・・・あの人、男じゃないかしら?」

これを聞いた大学側はビックリ仰天しました。
 翌日、別の学科の入試があります。
そして、彼女は、ここにも願書を出しています。
大学側は、今か今かと試験開始を持ち、偵察を開始します。
 そして、複数の試験官が、彼女の横をさりげなく通りながら観察し、結果を報告し合います。

結果報告
・手が女性にしては角張りすぎている。
・ひげの剃り跡らしきもの発見。
・髪もかつらと思われる。
・年齢は父親ぐらいではないか。

でも、“あなた男でしょ”とも、聞き難い。
“もし、女だったら、えらい事になる”と言う訳で、出身高校に連絡をとります。

“ プルルルルル、ガチャ!”

「 もしもし、津田塾大学の試験官です。
お宅の生徒さんですけど、どこか変わったところがありますでしょうか。
たとえば、ふけて見えるとか・・・・?」
「 いいえ、ひどく変わってはいませんが、受験勉強で徹夜が続いていますからね。
疲れが出て、ふけて見えるかもしれませんね。」

“ うう、困った・・・!?”

学長以下、多数の職員が集まって相談しました。
“男女の中性化についての考察”なる議論を一通り論じた後(さすが大学!)、解決方法を発見します。
 彼女と同じ出身高校の受験生を二人呼び出して、受験票の写真を見せました。
そのときの、二人の答えです。

「 この顔は絶対に違います。」
「 やったあ~!!」

そして、試験が終わって彼女は部屋に呼ばれました。
 試験委員がいささか緊張しながら尋ねました。

「 あなたは、○○さんですか?」
「 はい、そうです。」

ここまでは一応女の子らしい裏声で話していました。
 でも、生年月日を尋ねられると、観念して、替玉であることを自白しました。

「 一体、あなたはどなたですか?」
「 父親です。」

 この父親は、実は娘が通っていた高校の英語教師でした。
そして、父親は勤め先の高校に辞表を出しました。
 娘は卒業保留になりました。
入試はもちろん失格です。
 でも、娘の学校での成績はトップクラスで、本人が受けても十分合格できたはずと関係者は口を揃えて言います。
 そして、このときの“女装までして受験する父親の気持ち”は、父親の娘に対する愛情の深さを示した形となり、世の父親族から“妙な親近感のある共感”を持って迎えられたのです。

























兄妹





 今時の若者とは思えないほど真面目で頑固な兄がいた。
兄は一流大学を目指し、来る日も来る日も勉強に明け暮れていた。

 小さい頃私はお兄ちゃんっ子で、毎日馬鹿なことして遊んでいた。
一緒にお風呂も入ったり、近くの川で魚を捕まえてこっそり二人で飼ったりもした。
夜は二段ベッドに寝て、面白かったアニメや漫画の話をした。
 今の兄には昔の面影がなく、常に自分のことを考え常にトップに立とうとしていた。
誰からの力も借りず、自分だけを信じ勤勉に励んでいた。
 県でもレベルの低い高校に通う私を見下すような目で見る兄。
私はそんな兄が嫌いだった。 

 本命校受験の一週間前から兄は部屋から出なくなり、食事も取らず一心不乱に勉強をしていた。
さすがの兄もプレッシャーを恐れていたのだろう。
 私はそんな兄にあるものを買ってきた。
期間限定で発売された合格祈願のスナック菓子(ウ)カールだ。
神経が張り詰めている時、こういったユニークなもので少しでも兄の気持ちを和らげられれば、と思った。
 カタブツの兄は嫌いだったが、心の奥ではまた昔の時のように仲良くしたかった。
兄は無言で受け取った。
返されると思っていた私は嬉しかった。

 そして試験は無事終わり、兄は見事本命大に合格した。
家族全員でお祝い、外食に出かけた帰りの車の中で私は兄に言った。

「 私のあげたカールのおかげだね。」

兄は面白くなさそうな顔で一言。

「 食べないで捨てた。」

 ショックと言うよりは腹が立ってしょうがなかった。
同時に、もうこの兄とは昔のような仲には戻れないと思った。
きっと大学でも馬鹿みたいに勉強漬けで、卒業後は一流会社に就職、エリート街道まっしぐらのつまらない人生をおくるのだろう。
ああこの兄にはピッタリだ。


 それから3ヵ月後。
兄が交通事故に遭ったとの連絡が入った。
両親と病院に駆けつけた時、兄はもう息絶えていた。
 ああ、なんてあっけない死を迎えたんだろう。
つまらない兄には、こんな人生がピッタリだったんだろう。
涙は出なかった。
腹が立っていた。
 あんな兄の為に、どうして私が涙を流さなきゃならないんだ。
そんな残酷なことを、平気で思える自分に嫌気がさした。

 葬式を済ませた後、母と一緒に兄のアパートに向かった。
遺品整理をするためだ。
気が進まなかったが、母一人では大変なのでしょうがない。
 真面目で几帳面な兄らしく、部屋は気味悪いほど綺麗に片付けられていた。
本当にゴミ一つなかった。
母が衣服を整理している間、私は兄の勉強机の中を片付けるよう言われた。

“ もしかしたら、お金でも少し入っていないかな。
あったらネコババしてやろう。”

 一番上の引き出しには受験関係の書類が残されていた。
本命の合格報告書も入っていて、顔に出さない兄もやっぱり嬉しかったんだと思った。
 報告書の封筒を開けて、私は一瞬息が止まった。
丁寧に折りたたまれた菓子の袋が入っていた。
私があげた、カールの袋だった。
涙が止まらなかった。
やっぱりお兄ちゃんは、ずっと私のお兄ちゃんだったんだ。

























悪意






 私が幼稚園にあがる前のことです。
私の母は本当の母親ではなく、父が連れてきた女の人でした。
本当の母は既に亡くなっていました。
今では仲がいい、とまではいきませんが、普通の関係(無関心)です。
 でも、当時私は母に嫌われていた。
んで、私も母が嫌い、いや怖かった。
母にしたら私は本当の子供ではないし、毛嫌いするのは仕方なかったかもしれません。
 いくつの時か覚えてないのですが、幼稚園にあがる前だから3、4歳かな。
枯葉が庭に目立つ秋になると、急に母がしつけに厳しくなりました。
それまでは私の行動に関しては、ジトーッと見たり無視したり、ジュースなどこぼすと、彼女が強行してぞうきんで拭くようなことが多かったのに、私自身に指示してやらせるようになりました。
 一番驚いたのは、私に絵本を読むようになってくれたことです。
私は嬉しかった。
きっと一緒にいることで、私にやっと興味をもってくれたんだ、と思って嬉しかったんでしょう。

 そんな日々が2ヶ月ほど続きました。
冬がやってきて、確か雪もふったような。
冬になるとますます母の干渉が多くなって、嬉しかったことは嬉しかったんですが、なんだか変な質問を堅くするようにもなってきて、それはあんまり嬉しくなかった。
あなたの名前は?とか、今日の天気は?とか。
その時、私は意図がわかってなかったけれど、実際会場に連れて行かれて面接を受けて、

「 ああこのために・・・。」

と理解しました。
その面接がなんなのかは、最近受験シーズンの度に思い出して、

「 そっかお受験だった・・・。」

と解釈してます。


 実は、その面接の内容が恐怖でした。
子供の私にとってはなんだか、それこそ洒落にならないほど怖かったんです。
受験シーズンになってまた思い出しました。
 今思うと、ここが幼稚園?と思うほど立派で、白いあの建物が幼稚園だったらしい。
私が小さかったから余計大きく見えたかもしれないけど、あの大きさは、高さは尋常じゃなかったはず。
ビルみたいな大きさではなくて、不気味に大きいんです。
 イメージ的には、簡単な造りの大きな宮殿で、大体真っ白だから・・・なーんか変な感じでした。
その建物の中に入っていく私と母は、いつも着る服とは全然違う立派な服でした。
私なんて普段大した服を着させてもらってなかったので、急に窮屈な服を着ると少し息苦しかったのを覚えています。
母に、

「 ここ何屋さん?」

とか聞いた気がするけど、母はただ遠くを見てキリッとしてるだけで、その質問には答えない代わりに、

「 ちゃんとするのよ。」
「 ハキハキしなさい。」

そしてまた、

「 今日の天気は?」。

その日の天気は小雨でした。
小雨なんて言葉は知らなかったから、

「 ちょっとだけ雨降ってる。」

と答えたら、

「 少し、雨が、降って、います。」

と訂正されたことは覚えてる。
 案内の女の人みたいなのに誘導されると、他の親子もいて、椅子に座っていました。
私たちはその隣に座ります。
親子の表情はにこやかで穏やかでした。
その笑顔と母の表情が、随分対照的だったことを覚えています。
 その親子は男の人に呼ばれると、白いドアの中にペコペコしながら入っていった。
しばらくすると出てきて、私たちにもにっこり笑って出ていくと、今度は私たちが呼ばれたらしく、母に促されながら白いドアの中に入っていきました。

 男の人たちが3人いた。
風貌はあまり覚えていないけど、表情は覚えてます。
左の人は無表情で、真ん中の人はまたにっこりしてる、右の人は私たちのことを睨んでました。
隣になぜかテレビがあった。
母と面接官のやりとりは、興味が特になかったのであんまり覚えてませんので、私と面接官のやりとりを話します。

面「 お名前は?」
私「 ○○です。」
面「 どこにすんでますか?」
私「 □□です。」
面「 今日のお天気はどうでしたか?」
私「 (あ、さっきと同じ)ちょっと・・・。」

ここで母に訂正されたのを思い出した。
でも、ちょっと・・・って言っちゃった・・・とあせって、すぐに、

「 少し雨が降ってる・・。」

母の表情は見たくなかった。
この後面接官が変なこと聞いてきた。

面「 ○○さんは踊れますか?」
私「 ・・・?」

なんとなく、『踊れない』と答えちゃいけない気がして、

私「 お・・踊れます。」
面「 そうですか、踊れるんですねえ。」

 無表情の面接官がテレビのスイッチをつけて、なんかのビデオを再生したっぽい。
テレビの画面には、まるでNHKの体操みたいに女の人が3人いて、変な動きをしてました。
今思うと、あのバレエのボレロっぽい動きが、もっと激しくなってるような感じ。
一番おかしかったのは、体をぐにゃぐや揺り動かしてる動き、変なの。

なんと面接官は、

「 じゃあ○○さん、この女の人たちの動きと同じ動きをしてください。」

と言ったんです。
さすがにびっくりしましたが、踊れるとか言っちゃったし、顔は見てないけど母が見てる。

「 はい。」

と言って立ち、私は体を振り回しながら、一心不乱にその女の人達に合わせて踊ろうとしたけど、なんせ3、4歳じゃあ全然おいつかないしあせりました。
それなのに、酷かった。
面接官の人はフアハハといった感じで笑ってました。
幼心にも恥ずかしさで傷つきました。
 数分ほど踊らされてからまた座ると、次にテレビの画面に、ぼっさぼっさの髪と大きい目の男の人が映りました。
その画面の中の男の人は、ただの写真かと思うほど30秒ほどだまりこくっていたかと思ったら、急に意味不明な言葉を発した。

「 アイウギャオガー!ウエウガオラー!」

みたいな・・・・?
 はっきりとは何を言ったか覚えていません。
そしてまただまりこくった。
 そしたら面接官たちが、私の顔を一斉に見てきました。

“ 何かを求めてる・・・もしかしてあの画面の男の人は、私に質問してたの?
でもなんていったかわかんないよ・・・どうしよう・・・。”

と困ったので、ちょっと母に助けを求めようと母の顔を振り向いた。
母はキリッと面接官たちに顔を向けていたけど、目が私を見ていて睨みつけていて、

「 早く!答えな!」

感がジワジワと伝わってきた。
 私は泣きそうでした。
大人4人が何かを自分に求めているけど答えられない。
怖い!なんなのかわかんない!
 画面の中の男の人も私のことを凝視していました。
また写真かと思ったら口をモゴモゴさせていたので、写真ではなかったみたい。
 やっとこさで口をあけたんですが、

「 あ・・・・。」

と言う事しかできませんでした。
 面接官達はフッとこっちを見るのをやめ、ジーッと私を睨んでいた面接官が、椅子の下からビンをとりだして、私に近づいてきました。
母のため息が、隣で聞こえた気がしました。

「 あの人が言ったこと、わからないんですか?」

あの人=ビデオの人か?
 私が、

「 はい・・・。」

と答えると、ビンの口を私の鼻の前にズンとつきだしてきて、

「 なんのにおいですか?」

と聞いてきた。
 嗅ぐのが怖かったけど、仕方なく嗅いだ。
今の今までも、あんな臭いのを嗅いだのはそれっきりです。
すごーく臭い、生臭い、魚屋の匂いと、糞尿がまざったようなひっどい匂いでした。
 仕方ないので、まずいと思ったけど、

「 ・・・うんこ・・・?の・・・。」

と答えたら、面接官の顔が一気に赤くなって、次の瞬間、私の上でビンをさかさまに。
冷たい感触が一気に背中をつたりました。
 かけられたのはただの透明な水、でも凄く臭い。
面接官は口々に、

「 信じられん!」
「 なんていやな子だ!」

と言い始めて、当時の私にはわからないような言葉も使って色々言ってたようですが、私には意味はわからなかった。
 ただひたすら怖くて、あんな普通に静かだった面接官達が大声で自分のことを罵倒してる。
しかも自分はびしょぬれ。
んでもって、とっても臭い!
 面接官達は散々私のことを悪く言った後、また冷静になっててコホンと咳払いをしてから、母に、

「 残念ですが、○○さんは私たちの幼稚園には入れません。」

と言った。
そこで私は、やっとここが幼稚園だったのかとわかる。
 顔はみなかったけど、母の声色はこわばっていて、

「 あ・・あの!でも!
こんな内容なんて書いてませんでしたよ!
どうしてですか! どうして教えてくれなかったなんですか! 
そしたら準備したのに!」

みたいなことを言っていました。
 最後はドアがノックされ、

「 お時間です。」

と言われて、強制退場しました。
 玄関まで出ると、外は小雨からどしゃぶりになってた。
母が私にやっと話しかけました。

「 ○○ちゃん。」
「 お母さんごめんなさい、あのね。」
「 ○○ちゃん。」
「 なに?」
「 臭いわ。」
「 ・・・。」
「 よかったわね、雨が降ってるから洗いなさい。」
「 うん。」

私は母に無理矢理出される前に外に出て、雨にうたれながら、そのにおいを消そうと必死にごしごし洗ったりしてた。

“ お母さん、私ができなかったから泣いちゃうかも・・・。”

と思って、洗うそぶりを見せながら母の方をチラッとみたら、母は泣いてなかった。
ただ私の方を睨んでただけ。
 私は次の日、案の定風邪を引きました。
その面接のことを母は父に言わなかったので、私も父にはその変な面接のことは言いませんでした。
 もうこれは何十年も前の話です。
たまにふと思い出して、母に、

「 あれはなんのお受験だったの?」

と聞いたりもしますが、母は、

「 そんなの覚えてない。」

の一点張り。
多分嘘ついてます。
 私の被害妄想かもしれませんが、母は私をどっかの宗教の幼稚園の中にいれようとしていた。
それで、私が邪魔だったから、そこにいれて全て任せるつもりだったんでしょう。
しかも、父に内緒で、先に幼稚園にいれさせるつもりだった。
 間違って入ってしまわなくて本当によかったです。
そしたらどんなことになっていたか・・・。
というか、あの面接でどんな受け答えをしてたら、入学できるんだろうか、謎が残っています。

















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