大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

☆奇妙な恐怖小説群
☆ghanayama童話
☆写真絵画鑑賞
☆日々の出来事
☆不条理日記

大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

☆分野を選択して、カテゴリーに入って下さい。

A,日々の出来事

☆( 1年間366日分の日々の出来事  )

B,日々の恐怖

☆( 日々の恐怖 )

C,奇妙小説

☆(  しづめばこ P574 )                          

日々の出来事 11月7日 陽だまりの樹とカスパー・ハウザーの牛さんの話

2018-11-07 08:31:36 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 11月7日 陽だまりの樹とカスパー・ハウザーの牛さんの話






 今日は、緒方洪庵が大坂に除痘所を開設した日です。(1849年11月7日)
緒方洪庵は、当時、多数の死者を出した天然痘を予防するため、牛痘種痘を行う場所として大阪市中央区道修町に除痘所を開設しました。
この除痘所を出発として、西日本各地に分苗所が設置され、天然痘の蔓延を阻止することに大きく貢献しました。
11年後の1860年には、この除痘所は適塾の南に移転します。
 この適塾や除痘所の話は、手塚治虫の“陽だまりの樹”に物語として面白く描いてあります。
そして、現在でも、適塾は大阪市役所近くに残っており、周囲は小さいながらも公園として整備されています。
 適塾の建物の中には、適塾生徒一覧の表があり、手塚治虫の祖先である手塚良仙や、幕末に活躍した福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎等の名前を見ることが出来ます。
また、二階に残る柱の刀傷は、当時の適塾の血気盛んな若者たちのエネルギーを感じることが出来ます。









  適塾
















☆今日の壺々話









     カスパー・ハウザーの種痘




 1828年3月26日、ドイツのニュルンベルクに16歳位の少年が立っていました。
不審に思った人が少年にいろいろ尋ねますが、少年は言葉が分からず“分からない”と機械的に反応するだけでした。
そして、紙とペンを与えると“カスパー・ハウザー”と名前を書きます。
このことから、少年はカスパー・ハウザーと名付けられました。
 カスパーは、初めは単なる不思議な謎の少年でしたが、この少年の腕に種痘の跡があることが分かります。
種痘は、当時王侯貴族だけが受けられるものだったので、騒ぎが広がり始めます。
その上、容姿が当時の貴族によく似ていたことから、カスパーは王室の血族なのではないかという噂も流れ出します。
 そして、後にカスパーは言葉を教えられ教育を受けて普通に生活できるようになり、手記で、何者かに十数年間に亘り、暗い地下室で閉じ込められて生活していたことを告白します。
さらに、カスパーが生まれた頃、王室で子供二人がいなくなるという騒ぎがあったことも手伝って、カスパーはもともと王の後継者であったが、何らかの理由により隔離され、地下室に幽閉された言う話も広まりました。
 その後、カスパーは、養育者である法学者パウル・ヨハン・アンセルム・リッター・フォン・フォイエルバッハと平穏に暮らしていました。
しかし、カスパーに不幸は、またもややって来ます。
 カスパーは、1829年10月17日に暗殺未遂事件に巻き込まれ怪我をします。
さらに、その後、再度、アンスパッハの王宮庭園でナイフで刺され、1833年12月17日暗殺されてしまいました。
どちらも犯人は分からないまま、現在に至っています。
 すべてが謎に包まれたカスパーを一躍時代の寵児としたのは、当時王侯貴族だけが受けていた種痘の跡がカスパーの腕に発見されたためなのです。


















     牛の乳房



 スイスの緑したたる山の中腹、なだらかな牧草地で、牛がのんびりと草を食でいる。
通りかかった紳士が、牛のそばに座っていた男に尋ねた。

「 失礼、いま何時でしょう?」

男は、ゆっくりと牛の方に身を寄せると、大きく垂れている牛の乳房の下に手をあてがい、重さをはかるようなしぐさで、少し乳房を持ち上げた。
そして、おもむろに答える。

「 2時45分。」
「 いや、どうもありがとう・・・。」

礼を言って紳士は歩きだす。

 どう考えても不思議である。
なぜ、あの男に時刻がわかったのだろう。
時計を持っていると思って尋ねたのに、牛の乳房にさわっただけで時刻を知るなんて・・・。

 不思議でたまらず、紳士は翌日、もう一度そこへ行く。
疑問を聞いて、男が言う。

「 それなら、ここへ来て見なされ。」

紳士は男のそばに、にじり寄った。
そして、男は牛の乳房を少し持ち上げた。
すると、その下に、向こうの谷間の村にある教会の時計塔が見えたのだ。


















牛丼



 久しぶりに牛丼食べたくなったので近所の牛丼屋行った。
カウンターで、もそもそと牛丼食ってたら、隣に若いサラリーマンが座って注文を待つ間、ずーっと携帯電話で話してる。
店内に通る声で。

「 うん、え? 今? 吉野家。そう、牛丼。」
「 好きなんだよ、吉野家の牛丼。」
「 吉野家は豚丼より牛丼でしょ、やっぱ!」

 そんなカンジで、携帯越しに会話してますよ。
店員も、そのサラリーマン以外の客全員も同じこと考えただろうけど、明らかにここは松屋なんですよ。
サラリーマンの口から『吉野家』って単語が出るたびに、牛丼咀嚼しながら「松屋!」って心の中で突っ込んでた。

 で、そのサラリーマン、注文の料理が目の前に置かれたんで、携帯切って、割り箸をパチンって割って、「は~~~~~」って息を吐いて、ボソっと一言。

「 松屋だ!」

















 弁当屋で同じ物を頼み続けるとアダ名がつく




オリジンで毎日のようにのりチキン竜田弁当頼んでるけどニックネームつけられてるのか?



ホラ、そろそろノリタツさん来る時間だから、早く竜田揚げ作って!
みたいな会話はされてるだろうな。



いつも牛丼を食いに来るバイク乗りの男のことを「牛丼ライダー」って呼んでた。



のり弁「のり夫」ならいた。



あだ名付けられるのが嫌でいろんな店をローテーションしてるんだけど、
週一でもやっぱ覚えられてるのかな。



からあげクンwwwwwwwwwwwwwwww
覚悟もないのにから揚げ食うなよ。



なんで人の弁当まで監視してんの?
そっちの方が気持ち悪いんだけど。



俺弁当屋でバイトしてたけど、
3回目で完全に顔覚えるよ。
5回目であだ名つく。
10回目で店で笑いものになる。
どこもそうだと思うよ。



俺も来る日も来る日もキャンペーンのメニューの弁当食べてたら、
普通に世間話出来る仲になったよ。
あだ名にキャンペーン名ぐらいついてるかも。



週3で塩唐揚げ10個買う弁当屋。
震災後なぜか行く気にならず、4ヶ月以上経過して久しぶりに行ったら、
俺の顔見るなり「唐揚げさん!無事だったの!良かったよ~!あれから全然来ないからてっきり…」って、店員の太ったかわい子ちゃんが涙目で喜んでくれた。
でも、俺を裏で唐揚げさんと呼んでた事を知って、何だか無性に腹が立った。
あれから、また行かなくなった。
















中国人がやってる中華料理屋




 うちの近所に中国人がやってるラーメン屋っていうか中華料理屋がある。
店長はおろかバイトも全員中国人。
で、いざ注文。

俺「ラーメンと唐揚げ。」
店員「ラーメン…ト、唐揚げ…杏仁豆腐ですネ。」
俺「いや、杏仁豆腐はいらないよ。」
店員「なんデ?美味しいですヨ?」
俺「うん、でも今日はいらない。」
店員「そうですカ、ではラーメンと唐揚げ、杏仁豆腐ですネ。」
俺「いや、ラーメンと唐揚げだけで。」
店員「残念ですね、わかりましター。」

もちろん杏仁豆腐は出てきた。

















お話“牛の墓”




 私が通っていた高校は、数年前に改築され今では近代的な姿に変貌を遂げているが、私たちが在学中はどこもかしこも古めかしい学校だった。
歴史だけは県下有数というこの学校に、昔からひっそりと語り継がれているという、ある怪談話の伝説があった。
 それは通称「牛の墓の話」という名前なのだが、タイトルだけ聞くとおなじみの「牛の首」を思い浮かべる人もあるかと思う。
学校に伝わっていた「牛の墓」話というのも、一般的にはいわゆる「牛の首」系の怪談話でメジャーな展開である
「あまりに恐ろしすぎて誰も話すことができない」系統の語られ方をされていたのも不思議と共通していた。
 しかし、ある先輩は「安保闘争が盛んな時代の、学生運動に絡んだ話らしい」と語り、同じ高校のOBである親戚の兄(10歳ほど離れている)は「大正後期から昭和初期の話らしい」と聞かされた。
話のタイトルも「牛の墓」という説と「牛のバカ」という説もあり、まさに正体不明の怪談話といえた。

「 牛の墓伝説を詳しく調べよう。」

私にそういったのは中学時代からの友人Aだった。
 季節は衣替えの直後だったと思う。
Aは優等生で成績は常に学年上位だった。
だが中学の頃からオカルトやらファンタジーにかなり傾倒しており、この話ももともとはAが定年間際の老教師から聞いてきたのがそもそもの始まりだ。

 しかし「牛の墓」伝説の調査ははかばかしくなかった。
Aは図書館で地方版の新聞を読み漁り、かつての卒業生を訪ねたり大学の図書館にまで入りびたってさまざまな資料を飽きることなく調べていた。
私も何度かAの「調査」に付き合ったが、彼の熱の入れようはどこか異常ともいえた。


 そして夏休みがやってきた。
Aは予備校の夏期講習の傍ら、まだいろいろと郷土史を調べたりと相変わらず「牛の墓」について飽きずに調査していた。
私はAとは違う塾に通っていたのだが、夏休みの少し前から塾で同じ教科を取っていた同じ学校の女の子と仲良くなったりしていたため(笑)不純な目的ながら塾通いに熱心になり、「調査」へのモチベーションが落ちかけていた頃だ。


 8月の上旬頃、私やAが所属していた部活の夏期合宿があった。夏期合宿といっても要は部活動のあとで部員が学校内の宿泊室に泊まりこむだけなのだが。
 その夜、しばらくぶりにAと会ってその後の調査具合を聞くと

「 60年代から70年代あたりにかけて生徒が死んだ事件があったのは事実らしい。
だけど、その事件とは別に、もうひとつ公表されなかった事件が過去に存在するという話を、ある古い卒業生に聞いてきた。
どうもこっちの話こそ、牛の墓事件の隠された真実があるように思う。
そのことを知ってる人を今探している。」

そういった話をAはしていた。

 その後、お定まりではあるが深夜にかけて部員たち数人で怪談話をいろいろしていたのだが、ある女子部員が「こっくりさんやろう」と言い出した。
Aが名乗りを上げ、言い出した女子部員と10円玉に指を載せる。
私はオカルト好きだがチキンハートなので他の数人の部員たちとそれを眺めていた。
 しばらくすると、室内の空気が妙にじめっ、というかじとっとした粘り気のある重苦しい雰囲気になりつつあるのを感じだした。
霊感の無い私ですら「あ、こりゃマズいかも」と思ったとき、こっくりさんをしていた女子部員とAの指先にある10円玉が不規則に、そしてめったやたらに動き始める。

「 やだ…、なにこれ…。」

 取り巻いていた私や、他の部員の顔色は悪いが、ランダムに動いて止められない10円玉に指を乗せた女子部員とAの顔色は青いのを通りこして白かった。
部屋の隅っこに誰か知らない人が立っている、ような気がするが身体が震えてそちらを見る度胸も無かった。
別の女子部員が泣きだした。

「 お前ら何やってるんだ!!」

突然大声がしたかと思うと、前部長であり昨年卒業したOBのB先輩が部屋に飛び込んできた。
 B先輩は10円玉を掴んで、網戸をあけて外に投げ捨てた。
そしてこっくりさんに使った紙を持って合宿場の外へ出ていった。
あとで聞くと紙は丸めてトイレの水に流してきたそうだ。

「 冗談半分でもあーゆーのはやるんじゃねーぞ、おまえら。」

B先輩は、寝ていたところ気分がざわついて目が覚めたらしい。

「 もうおまえらおとなしく寝ろ。」

Aはまだ放心したような表情だったが、のろのろと立ち上がって男子用の宿泊部屋に向かいかけた。

「 あ、それとな。」

その背中にB先輩が声をかける。

「 悪いことはいわんから、ほどほどにしろよ。」

Aは返事をせずに出ていった。
結局ろくに眠れないまま、次の日の朝になり私たちは解散して帰宅する。


 それからさらに2週間ほど経過して、夏休みも残り半分ほどになったある夜、Aから電話がかかってきた。

「 牛の墓だけど。」
「 まだ調べてたのか、B先輩も言ってたけどほどほどにしろな。」
「 だいぶ分かってきた。
もうひとつの話の真相を知った女にだけ呪いがかかる…っていう話があるらしい。」
「 女だけ?」
「 だから、俺らは大丈夫だよ。
それで学生運動の頃の話も詳しく知ってる人に明日会う。
明後日の登校日に全部聞かせるから、待っててくれよ。」

そういって電話は切れた。
 だが、登校日にAは学校に現れなかった。
気になったので夜自宅に電話をしたのだが、何度かけても誰も出ない。
Aと連絡が取れないまま夏休みも終わる間際となり、私はAの自宅に向かった。
しかしAの自宅は雨戸がすべて閉ざされていた。


 2学期になってもAの姿は学校には無いままだった。
Aには年子で妹が1年にいたので、1年生の知り合いに尋ねても、妹も学校には来ていないとのことだった。
 それからかなり経過してから私はある後輩女子部員の1人から噂を耳にした。
Aの妹が、夏休み中に突然自殺を図ろうとしたらしい。
彼女はとても明るく活発で友人の誰もそんな兆候は見られなかったのだが、自分の部屋でナイフで首を切ったらしいという。
学校には家の事情により転校、という連絡があったようなことも後に明らかになった。
それから15年、未だにAのその後の行方は分かっていない。


 結局、私はAから「牛の墓事件」の真相を聞くことはできなかった。
誰も中身を知らない最強の怪談話、という点でも「牛の首」とのかすかな共通項が見られる。
ただ、私が気になっているのはAは「牛の墓事件」についての調査をノート2冊くらいに分けて持っていた。
その調査記録をAの妹が目にした、もしくは読んだ、という可能性は考えられないだろうか。


 ちなみにその学校に「牛の墓」という話が伝わってる、というのはわりと知られている話らしく、 先日取り引き先との飲み会で、年配の方が、

「 ○○くんは××高校の出身なのか。
昔あの学校には牛の墓って話が伝わってたらしいけど、きみくらいの年齢だと知らないだろうねえ。」

と懐かしそうに語っていたので、妙なシンクロニシティを感じた。




















童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
 大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月6日(火)のつぶやき

2018-11-07 02:54:54 | _HOMEページ_

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。

-------大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ-------