日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

"Impossible is nothing"

2016-06-09 10:00:00 | (相)のブログ
ボクシングの元ヘビー級世界王者のモハメド・アリが3日、74歳で亡くなった。30年以上にわたるパーキンソン病とのたたかいの末にその生涯を閉じた。私はボクサーとしてのアリをリアルタイムでは知らないが、ボクシングというスポーツの枠を超えて、世界に影響を与えた偉大な存在だったと思う。本当に残念でならない。

 アリは生前、数多くの名言を残しており、死去後、さまざまなメディアが彼の言葉を取り上げていた。数ある言葉の中でも昔から好きなのは、以下のもの。

 Impossible is just a big word thrown around by small men who find it easier to live in the world they've been given than to explore the power they have to change it. Impossible is not a fact. It's an opinion. Impossible is not a declaration. It's a dare. Impossible is potential. Impossible is temporary. Impossible is nothing.

 おおまかに訳せばこうなるだろうか。
 「不可能とはスケールの小さい人間が使うおおげさな言葉にすぎない、不可能とは事実ではなく一つの意見だ、不可能とは可能性だ、不可能とは一時的なものだ、不可能など何でもない」

 ちなみに。あまり知られてはいないが、アリは今から21年前の1995年、平壌を訪れている。4月28、29日の両日に行われた「平和のための平壌国際体育・文化祝典」にゲストとして招待されたのだ。下の画像は、アリの訪朝を報じた当時の「朝鮮新報」の紙面の一部を切り抜いたもの。笑顔が印象深い。(相)





「しつけ」か「虐待」か

2016-06-08 10:00:00 | (K)のブログ
 北海道で男児が父親から山中に置き去りにされ行方不明になっていた事件は、6月3日に無事に発見され決着をみた。無事で本当に良かったと思う。
 この事件で、クローズアップされたのは、子どものしつけの問題だ。父親が子どもを置き去りにしたのは、「しつけ」なのか「虐待」なのかということで論争が起こっているという。今回の父親の行動が「しつけ」なのか「虐待」なのか、報道で得るだけの知識で判断するのは難しい。しかし、今回の出来事を見ていて、自分自身の子育てを振り返り、非常に心苦しい思い出が胸に宿った。

 私にも息子がいるが、幼い頃に、「しつけ」として、手を挙げたことが何度かある。絶対的な権力を持った者が抵抗できない幼い子に手を挙げる。その時は、「叱っていた」というよりは、「怒りを暴力としてぶつけていた」のだと、今振り返るとわかる。息子にとってみれば、恐怖でしかなかったと思うし、そのことが息子の精神世界に負の影響を与えたことは確かだろう。
 いろいろと反省し、息子が小学校高学年の時に、手を挙げることは2度としまいと、決意した。息子も大きくなって、今では私よりも腕力も強くなり、いま手を挙げても、逆襲されるだけだが、手を挙げるまいと決意したことは良かったと思う。もっと早く気づいていればよかったのにと、胸が痛くなる。

 私自身は、子どもの頃に体罰を受けた。竹でできた物差しでがんがん叩かれた。それで、親を恨んだことはまったくない。だけど、私がこのようなひねくれた人間になった一つの要因なのかもしれない。今の考え方は、私は体罰をやりませんということだが、体罰が許されるのかどうか…。公式的な答は「体罰はダメ」ということなのだが、そんなに単純ではないのだろう。
 今回の置き去り事件は、事が大きくなって、やりすぎだったということになるのだろう。(k)

6年暮らしてみて

2016-06-07 10:00:00 | (麗)のブログ
先月、家賃の更新案内がポストに届いていた。今の家に住んで6年が経とうとしている。
会社が入っていた出版会館が白山にあったため、家も三田線沿いを探して今もその沿線に住んでいるが、もうそんなに経つのか…と複数枚ある書類をぼーっと眺める。

いま住んでいる所は東京でも有名な商店街が近くにあり、私の生活の支えになっている。
地元・大阪の生野区のような下町っぽさが特に好きで、住み心地がいい街でもある。
たまに顔見知り程度の人とすれ違ったり、在日の方もちらほら住んでいる模様。

6年暮らしてみて、商店街の店舗も変わっていくのを見てきた。
中には数ヵ月足らずで潰れてたり、同じ場所にラーメン屋が出来てはまた違うラーメン屋が出来ていたり、ケーキ屋が理容室になっていたりと、何かと移り変わりが激しい。
ほんの数日前まで何もなかった所に新しい店が出来ていることがしょっちゅうで、その度に、店に入るわけでもないのに無駄にチェックしている。

そんなある日、店内でも飲食可能なピザ屋が新しく出来ているのを発見した。
のぞいてみると店員は一人。中年男性だった。恐らく、店主だろう。
その店を横切るたびに、(脱サラしてずっとやりたかったピザ屋をオープンさせたのかな…大変だな)なんて勝手に妄想したり、繁盛しているかを気にしたりと、謎の親心的な気持ちで眺めていたりもした。
その後、ピザ屋はバーガー屋に変わってしまっていた。

6年も暮らしていると、色々と変わるもんだなぁ…と、街の風景を見てそんなことを考えていた。(麗)

親の知らない所で

2016-06-06 10:00:00 | (理)のブログ
 私事だが、先月26歳になった。実家を離れて生活するようになって11年目、東京に出てきて8年目、働き始めて4年目。いつの間にか、「自分ってこういう考えをするようになったんだ」とか「こんなことができるようになったんだ」というものが増えてきたように感じる。

 正確な時期は覚えていないが、小学校に上がる前くらいに、本当にちょっとしたことがきっかけで少しだけ自分に自信が持てなくなった。そんな深刻なものではなく、写真を撮られるのが嫌で自然に笑えなくなったり、人前で堂々と歌えなくなったり、ふざけられなくなった。保育園に通っていた頃は活発でかなりのお調子者だったから、もしかしたら両親は戸惑ったかもしれない。

 時が経つにつれて色んな人や本やものと出会い、少しずつ自分に肯定的になれたり、気もちの折り合いのつけ方を見つけることができた。そういう気持ちの面での成長を経てきたと自分で思う。ウリハッキョに入ったことも大きかった。

 でもこの一連の気持ちの動きをきちんと両親に話したことはない。なんとなく悲しむだろうなと思って、自分に自信がないということは話していなかった。勝手に自己完結したようなものだ。

 そんなことを振り返りながら、人は必ずしも親の知っている所でだけ成長するものではないのかなと思った。親の知らない所での葛藤があって(「何か」があるんだろうということは気づかれるかもしれないけど)、親の知らない所で克服している。そういうことは私の弟にも、友人にも、きっとみんなにあるものなんだろう。

 そう考えた時に、いつか自分の子どももそういう気持ちを持ったり葛藤を経たりするのかなあと思って結構本気で心配になった。私はうまいこと色んな出会いや気づきがあって気持ちを克服できたが、みんなそうなのだろうか。どうか自分の子どもには、自分の知り得ないところでも健やかな心で育って欲しいなと思う。まあ、これは気が早すぎるにも程があるのだけれど…。(理)

高尾山の楽しみ方は色々

2016-06-03 10:00:00 | (愛)のブログ
先日、(麗)さんがブログで高尾山に初登山した記事を書いていましたが、実は私も登ってきました。
会社仲間と、小さい子ども含めた家族とともに。

私自身は前日まで全く乗り気ではなかった高尾山登頂。
子どももいるし、本当に登れるのか?と思いましたが、高尾山はスピリチュアルな霊山ということもあり、登ればきっといいこともあるかも?と
行く気持ちを奮い立たせ、登ってきました!


まず駅から徒歩でケーブルカー乗り場へ。ここからは子どもがいるということで、(麗)さんたちとは違うコースで登ることに。
ケーブルカー乗り場で切符を買い、ベビーカー預かり料金300円をだし、ベビーカーと大きな荷物を預かってもらいます。
そして、早速ケーブルカーへ。


ケーブルカーに乗ると6分ほどで標高472mまで登れます。最急勾配は31度18分、ケーブルカーの線路では日本一の急勾配ということで、踏ん張っていないとずり落ちそうでした。

着くと、何やらいい匂いが。名物の炭火で焼いた三福だんごが美味しそうで、ついついひとつ購入。あっという間に食べてしまうくらい美味しかったです!


そこから15分ほど歩くと、成田山新勝寺・川崎大師と並ぶ、真言宗智山派の関東三大本山の一つ、「高尾山薬王院有喜寺」があります。
途中には、日々の生活で汚れがたまった六根(目、鼻、耳、舌、心、体の6つの感覚器)を清浄にしてくれるという六根石が所々に置いてあります。
子どもとクルクル回しながら、良くなりますようにと一つ一つ回しながら、登っていきます。

その昔、参道を切り開く際に、道の邪魔になると切られそうになった根を一夜にして、たこの足のようにぐにゃりと曲げ道を開いたという伝説のあるタコ杉。

その隣には開運ひっぱり蛸が。もちろん皆で触りました。

天狗が腰かけて休むとされる霊木。


十善戒というものも紹介されており、ふむふむ、と読みました。

お寺の中には天狗の銅像が。
以前読んだ漫画「スピ散歩」という本の中で高尾山が紹介されており、その作者がお寺の屋根に天狗が何匹もいるのを見たそうで、きっと天狗がいるのかな~とワクワクドキドキしながらお参りしました。

本堂へ急ぐとちょうど祈祷を終えられたのか、ほら貝を吹きながら歩く僧侶たちの姿をみることができました。


ブオ~~~~~というほら貝の音がお寺全体に響きわたっていて、不思議な感覚に包まれていました。本当に天狗が飛んでいそうです。
お寺には色々な願掛けの場があり、隅々まで回りたかったです。

そんなこんなで、高尾山を子どもと楽しみながら歩いて、やっと山頂へ。
着いてみると(麗)さんたちは30分も前に着いていて、お昼もすっかり食べたあとでした。
楽しみすぎた、と反省。

山頂では子どもは同僚とたっぷり遊んでもらいました。
下りでは、皆でおみくじを引いて楽しく帰りました。おみくじもこれから上向いていくというような良い結果だったこともあり、パワーを補充できた気がします。
登りも下りも、ケーブルカーを使えば何とか子どもでも挑戦できるものですね。
結果、乗り気でなかった高尾山登頂は、やっぱり行ってよかったな、に変わりました。

行く人によって様々な表情をみせる高尾山。高尾山は色々な楽しみ方ができる山なのだなと、感心しました。(愛)







保育園の思い出

2016-06-02 10:00:00 | (S)のブログ
 先日、友人がこんな経験を話していた。
 「日本の保育園に通っていた頃、自分だけ朝鮮の名前なのがいやだった。みんながいる前で先生に名前を呼ばれるたびに、恥ずかしくて仕方なかった」

 似たような話は他にもよく耳にする。私も朝鮮の幼稚園ではなく日本の保育園に通っていたので、こんな話を聞いたときは、自身の保育園時代を振り返ってみる。といっても、保育園の記憶はまだらで、途切れ途切れ印象的なシーンだけが浮かぶ。それでもはっきり言えるのは、自分が「朝鮮人」だと認識していたことと、それが嬉しかったということだ。

 嬉しかった理由も、とても単純。
 当時の私は、すべてにおいて、「自分が主人公なんだ」と思い込んでいた。自分だけ日本人でないことは、「自分は特別なんだ!」ということの証拠のようなもので、「朝鮮人」というものに対して過剰にプライドがあったわけでもなんでもない。
 周囲との違いを自然とポジティブに捉えられたことは、幸いなことだったと思う。当時の私のモチベーションが偶然にも前向きだったおかげだ。

 しかし、今思うと、それもただの「偶然」ではないように感じる。
 先生の弾くピアノに合わせて園児たちが歌をうたうのが日課だが、ある日、その歌が朝鮮語だった。のちのち朝鮮学校の初級部で習う、朝鮮の童謡だ。
 もちろん、私の朝鮮語能力も「アッパ、オンマ」しか言えないレベルだったので、歌詞の意味は分からなかった。が、「今日は(S)ちゃんの国の言葉で歌をうたいま~す」と先生が説明し、みんなが「へ~!」と驚くようすに、この上ない嬉しさが込み上げたのだった。

 私が、朝鮮にいる親せきに会いに行ってきたことを、保育園で熱心に話したこと、卒園式でチョゴリを堂々と着たこと、「卒園したら、朝鮮学校に行くんだよ~!!」と自慢げに言っていたこと…。全部、「偶然」とは言えないと思う。
 何一ついやな思いをせず、「特別だ!」と子どもなりに自分を肯定できたことは、きっと保育園の先生、友だちとその保護者、近所のおじちゃんおばちゃんといった、周囲の人たちが作ってくれた暖かい空間があったからに違いない。(S)

高尾山に初挑戦

2016-06-01 10:00:00 | (麗)のブログ
先日、会社のメンバーで高尾山へ行きました。自身としては数年ぶりの登山、初めての高尾山です。

都心から1時間とアクセスしやすく、気軽に行ける人気スポットで老若男女問わず人気がある高尾山。
ミシュランガイド三ツ星の効果もあってか、当日も大勢の観光客で賑わっていました。

この日登ったのは「稲荷山コース」。
本格的な登山を味わえるコースだっただけに、数年ぶりの身としてはかなり怯んでいましたが、なんとか弱音も吐かず山頂まで登りきる事ができました。


途中、休憩所から見える景色。あいにく霧がかかっていて見えず…。晴れた日はスカイツリーも見えるのだとか。




山頂。休憩所からの景色とあまり変わらず。みなさんヘトヘトになってます。




帰りはケーブルカーには乗らず、ゆっくり下山。道中、樹齢数百年の木が何本もあり、その生命力にただただ圧倒。たくさんパワーをもらった気になりました。
あまりの大自然に後輩は「本当に天狗がいそうですよね」とコメント。


高尾山名物「天狗焼」。可愛いお顔の中には、甘さ控えめの黒豆がたっぷり入ってます。

稲荷山コースで一番きつかったのは、山頂までの階段でした。
最後の最後でメンタルに来る段数でしたが、登り終えたときの達成感は気持ちがいいものでした。

そして一番感動したのが駅のすぐ隣にある温泉施設…!汗でベトベトになったあとに何回「素晴らしい…」とつぶやいたことか。とにかく「最高」の一言でした。(麗)