日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

書く

2013-07-22 09:00:00 | (理)のブログ
 物心ついたときから書くことが好きでした。もともと作文はきらいではなかったし、小学校高学年くらいから、その日思ったことや感じたことを挿し絵と一緒に大学ノートに書いていました。日によっては書きたいことが色々と浮かんできて、何ページもびっしり書いたこともありました。今考えると何をそんなに書いていたのかと不思議ですが。

 中学に上がってからは、図書カード欲しさに地元新聞の読者投稿欄にせっせと葉書きを送りました。1回掲載されると2000円分(!)。お小遣い稼ぎにはなかなかの金額です。初めて掲載されたときは嬉しくて、「新聞にね、文章載ったんだよ~」と両親に記事を見せてあげました。送ったことを黙っていたのでとても驚きながらも、アボジは早速100均でバインダーを買ってきて丁寧にスクラップ。コピーまでして数人に自慢していました。そんな姿を見て「やめてよ~」と思いつつ、図書カードをもらうことよりも自分の文章を他の人が読んで喜んでくれることの方が嬉しいんだ、と新鮮な気持ちになったのを覚えています。

 私の小さい頃の夢は、女の子がよく挙げる「お花屋さん」とか「ケーキ屋さん」といった可愛らしいものではなく、「楽して儲かる仕事」でした。「仕事」が入っているだけまだえらいと言いたいところですが、なかなか夢のない子どもです。そんな私が初めてそれなりに真剣に、具体的に「書く仕事」がしたいと思ったのは上に書いたような経験があったからだと思います。

 一度は作家になりたいという夢も持ちましたが、当時流行した「13歳のハローワーク」で「作家は人に残された最後の職業」で、「もう残された生き方は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい」と書かれているのを見て潔く諦めました(胸弾ませて「作家」のページを開いた子どもたちにそんなことを…! と軽い衝撃も受けました)。イオ編集部で働きたいと思ったのはその少し後のことです。

 昔はただ自分が書きたいから書いていました。今はそこに色々な思いを込めるようになったと思います。それは「この記事で少しでも喜んでくれる人がいたらいいな」とか「このことに対する認識が広まればいいな」といったものです。しかし、先輩方を見ていると言動や企画書の内容からもっと強い意志が感じられて、そういう部分に触れると気持ちが引き締まります。私もそろそろ「書きたいこと」だけではなく「書くべきこと」を書けるようにならなきゃいけないのかな、と思います。そのためには、知識や経験はもちろんのこと、もっと根本的な考え方とか視点の軸になるものをしっかり持てるようにしようなどと漠然と考えたりしています。

 なんだか長々と書いてしまいましたが、2013年度下半期とこれからの自分の仕事に対するささやかな目標でした。(理)
コメント (2)
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