延坪島での事件を理由に日本政府が朝鮮高校への無償化手続きを停止したこと、それがどれだけ愚かなことなのかは、前回のこのブログで書いた。また、米韓の大規模な軍事演習が始まり、米国と韓国は朝鮮民主主義人民共和国に対する軍事的圧力を強め、情勢をさらに緊張させている。
電車に乗っていると、車内のつり広告に「北朝鮮はなくなれ」と書いてあったので驚いた。朝日新聞社が出している「アエラ」という週刊誌の広告だ。何という傲慢で愚かなタイトルだろうか。
「北朝鮮はなくなれ」の「北朝鮮」は、朝鮮民主主義人民共和国のことを指しているのはもちろんだが、本来、「北朝鮮」は国名でも何でもなく、「朝鮮半島の北半分」という地域を指す言葉にすきない。だからこのタイトルは、「東日本はなくなれ」と書いているのと同じことになる。「北朝鮮」も「東日本」も、海に沈まない限り、なくならない。
ということで、今日は「北朝鮮」という呼び方について書いてみたい。
日本のマスコミ報道はもちろん、ネット上に溢れるやり取りでも、朝鮮民主主義人民共和国のことを、ほとんどが「北朝鮮」と呼び表記している。
昔の日本の新聞などは、「北朝鮮」と書いたとしても、少なくとも一番最初は「朝鮮民主主義人民共和国」と表記して、「(以下、北朝鮮)」と書いていた。それも失礼なのは変わらないが、しかし、いまは何の前触れもなしに「北朝鮮」だ。
ネット上でも、比較的まともな意見を述べている人も「北朝鮮」と書いている場合が多い。なかには「朝鮮学校に通っている生徒たちは『北朝鮮籍』ばかりではない」などという、わけのわからないことを書いている人もいる。
なぜ「北朝鮮」と呼ぶのだろうか? 正式名称の「朝鮮民主主義人民共和国」が長いからか? 「朝鮮」ではだめなのだろうか?
1960年代くらいまで、日本では「北鮮」「南鮮」という言葉が使われていた。日本の朝鮮民族に対する蔑視感情が生み出した言葉だが、いまの「北朝鮮」という呼び方もその延長線上にある。
正式な名前があるにもかかわらず、朝鮮民主主義人民共和国のロケットを「テポドン」と言い続けるのもよく似た問題だ。
朝鮮民主主義人民共和国が、「北朝鮮と呼んでも良いよ」と言うのなら別だが、まったく逆で、抗議しているのだ。
日本のマスコミが、「北朝鮮」を「国名」のように使うことを決めたのは、拉致問題の後からである。それに対し、2003年1月29日付けの労働新聞は、朝日新聞を名指しにしながら、日本のマスコミの「北朝鮮」呼称を批判する論評を掲載している。
一部を抜粋し日本語に翻訳する。
――日本で反共和国敵対行為が激しくなっている。最近、日本の「朝日新聞」が わが共和国を公式な国号のかわりに「北朝鮮」と呼称することを決定したこともその一つだ。…尊厳高い朝鮮の権威と自主権を冒涜する看過できない主権侵害行為である。 国号は、国家の尊厳の象徴として、誰もそれを勝手に命名することはできない。それなのに、日本の保守言論は、歴史的にわが共和国の国号を歪曲し、執拗にわが共和国と総聯に対する敵対的態度をとってきた。「朝日新聞」の今回の決定はその延長である。――
マスコミより日本政府はもっと悪質だ。
2007年、2008年に日本で開かれた世界アマ囲碁選手権で、朝鮮民主主義人民共和国の国号、国旗の使用を禁止するよう日本政府が国際囲碁連盟に指示するという信じられないことが起きている。それにより、朝鮮民主主義人民共和国の選手は大会に出場できなくなった。
それに関連する朝鮮新報日本語版の記事がこれ。
●世界アマ囲碁選手権 朝鮮の国号、国旗使用禁止を指示 日本政府が国際囲碁連盟に圧力 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/07/0707j0226-00001.htm
●朝鮮 国際囲碁大会不参加、日本外務省が圧力 国号に関し不当な指示 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/07/0807j0523-00001.htm
昔からの蔑視感情と昨今の「反北朝鮮」の世論、対立をあおる言論などが複合的に絡み合い、朝鮮民主主義人民共和国に対しては何を言ってもかまわないという認識が日本社会にできてしまった。その具体的な現れのひとつが「北朝鮮」という呼称である。
月刊イオでは、朝鮮民主主義人民共和国を略して書くときには、基本的に「朝鮮」を使う。「朝鮮」と表記してもほとんど何の問題も起きない。
「北朝鮮」と呼んだり書き続けることは、いまの日本社会の朝鮮民主主義人民共和国に対する歪んだ認識を助長させ、それが在日朝鮮人に対しても悪い影響を与えることになる。
ネットなどで何かを発信するとき、「北朝鮮」という呼称は使わないようにしてもらいたい。(k)
日本社会の排外主義が強まる一方の毎日を苦々しく思いながら、有効な反撃もできずに手をこまねいている日本人です。
日刊イオの文章がすっきりと心に入ってきたので、月刊イオの年間購読を決めました。
12月号のおおざっぱな印象です。
在日朝鮮人の今を伝えようと様々な人やテーマにスポットを当てる姿勢は素敵です。
でも、文章に今一つ勢いが感じられません。
何というのかな、フォーマットに従って書かれたPTAのお知らせみたい。
たとえばイクメンという切り口は好きですが、ハッキリ言って紙面に取りあげられたお父さんたち、家事・育児をしなさすぎです(笑)アンケートのおしまいにある「最初から夫には期待していないから」というスタンスで、
「問題」として取りあげてみることもできたでしょうに。
また、もっと取材対象の人固有の横顔をきちんと伝えてください。元気そうな顔ばかりでなく、怒った顔、困った顔、悲しい顔も。
それと記事の最後の(おわり)という表示はなじめません。
日刊イオの文章は書き手が立ち上がって見えるけれど、
月刊イオの文章はのっぺらぼうの組織が書いている感じがします。
以上、直接編集部にアクセスする方法が分からないのでこちらに書かせてもらいました。
記事の最後の(おわり)というのは、12月号なので、連載がこれで終わりですということを示したもので、連載終了の記事だけにつけてあります。通常の記事にはつけません。