日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

女性が働くということ

2019-04-04 10:00:00 | (瑛)のブログ


 女性が働く―。言葉にすると、たった5文字ですが、一筋縄ではいかないものです。

 常日頃、イオではさまざまな職種の方を紹介していますが、どうしても男性に片寄りがちで、なぜだろうと考え続けてきました。一言で、学ぶ機会が男性に比べて少なかったからだと感じています。

 20代のころ、大手新聞社を退職した日本人記者の退職祝いに誘ってもらったことがあり、その席でかのじょが入社したころには、女性は正社員になれなかったという話に驚きました。女性は結婚したら、家庭に入り、家事労働や子育てを担うのがあたりまえ。この考えは同胞社会でも根強いです。

 声高に叫ぶ元気はなくなりましたが、「なぜ人の可能性を家の中だけに押し込もうとするのかな?」と不思議に思います。

 私自身、子育てをしながら働いてこられたのは、職場や家族の協力はもちろんですが、保育園という預け先があったからです。保育園で目にする保育士さんの姿は、働く女性の手本のようでした。実の親にかわって子どもを見る、ときにスランプに陥る母親の顔色を見ては、優しい言葉をかけてくれる。夕飯の献立や子育ての悩みを聞いてもらったことも一度や二度ではありませんでした。

 保育士や看護師の世界は、女性なくしては成り立たない職場で、日本でも早くから女性が活躍してきた分野です。それだけに、母親を包み込む雰囲気や、仕事におけるプロ意識に触れるたび、静かに感動していました。この世界にも男性がたくさん進出しています。

 同胞社会はどうでしょう。

 朝鮮高校生の大学受験資格が緩和されたのが2003年、同胞社会における女性の大学進学率、進路の幅にも大きな前進があり、さまざまな職種につく女性が増えました。医師、大学教員、看護師長、会社社長から末端の暮らしを支える様々な仕事…。今の30代、20代の女性たちの活躍には目をみはります。

 一方で、2003年以前に朝鮮学校で学業を終えた、40代以上の女性は、若い世代とは事情が違うなと感じます。

 結婚して子育てが落ち着いた後に再就職しようとしても、最終学歴が朝鮮高校、朝鮮大学校の場合は、これらの学校が正規の学校として認められておらず、日本社会で学歴として認められないため、再就職がむずかしいと聞きます。そこで一念奮起して看護師や保育士、助産師の資格を取ったり、大学で学びなおす人たちもいます。ここでも立ちはだかるのが最終学歴の壁。一部の朝鮮高校では高卒認定を受けて卒業させているようですが、本来は外国人学校の学歴も日本社会で広く認知されればと思う場面です。私も朝高を卒業して都立高校の通信制に通い、高卒資格を取得しました。







 6月号のイオは女性起業家の特集です。

 先日、手作りのキムチ屋さんを立ち上げ、7年の間に店舗を増やしたある女性を取材しました。大家族の中で育ち、料理上手な母親を手伝いながら、そして、結婚後は家業の焼肉屋を手伝いながら、身につけた料理の技術。

 かのじょが作る手作りキムチや惣菜を買いに、多くの方が店を訪れます。スーパーに置くなど、大量販売とは一線を画しているようで、人から人へ確実な味を届けようという姿勢に心意気を感じました。

 かのじょは3人の子どもたちを育てる過程で、「自分にはこれしかできない」とキムチ作りで起業した思いを話してくれました。その姿に、かつては学校すら通わせてもらえなかった1世の姿が重なりました。

 1世の女性たちも飲食の仕事で生計を立てました。焼肉、キムチといった食文化がこれほど定着した日本の姿をたくさんの亡き1世たちに見せてあげたかったです。

 在日同胞の職業は、1945年の祖国解放から73年たった今、大きく様変わりしています。

 女性起業家の紹介で、その一歩進んだ姿を紹介できればと思っています。(瑛)

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