岳遊のひとり言

日々の暮らしに農作業や好きな山登りのことなどを伝えていきたいです。

人が死んで

2008-03-15 23:26:48 | 日々の暮らし
朝の内ほんの少し残った雨も9時過ぎには止んだ。今日は親戚のお葬式が執り行われた。 

今回の親戚に限らず、人は若くして亡くなった場合は当然本人のものと分かるが、老いてなくなる場合は得てして当人の息子さんなり、娘さんのお葬式ではと思うくらい、参列者も弔電も花輪もその関係筋のもので埋め尽くされる。

それが、もっと年を重ねると同級生代表の弔辞を読んでくれる仲間もいなく寂しいものとなるのだが。

今回僕の隣りに座ったお爺さんは、「人が死ぬには程々の年齢があるのだ」、・・「何事にも丁度があるもんで、俺も何時逝ってもいいんだがぁなぁ」と、言われた。


そのご家族のと思われる弔電が随分と長きに亘って読み上げられてる間、僕は亡くなった方のことを想い出していた。

亡くなった方を僕はある意味で、羨ましい人生を歩いた人だと思っている。 大会社に勤めていたが、酒をこよなく愛し、出世より自分に正直に生きた人で、僕も下請けの仕事でご一緒させて戴いた事が何度もあるが、ひょうきんだがあくまで自分を貫いた人だった。

そんな様を見ていて、僕なりに羨ましく思ったものだ。 人は全部をさらけ出しては生きていけないのなら、ひとつ位は何処かに自分の我を通して生きたいと思うのだ。

今は特に、勤め人にあってはそれを許される時代ではないと思う。仕事より自分を優先するなんて生き方は・・、

闘病生活も長かったようだが、現代医学のお蔭であまり苦しまずに逝ったとのことで、僕には遺影のちょっと照れたような顔が「どうだいっ、真似ができるもんならやってみな」って言ってるように見えてならなかった。