岳遊のひとり言

日々の暮らしに農作業や好きな山登りのことなどを伝えていきたいです。

4月待たずして田を耕す

2009-03-31 23:44:19 | 農作業
つい先だっての雪は何処へやらハウスの裏手にはつくしが間違いなく春を告げている。

       
昨年はもっと早くに出ていたように覚えているが、ここ最近の雪は平成4年の4月の大雪を想いだし不気味だ。

ただここ二日の天気で田の水が引いた。 昨年に稲を刈り取った後水捌け用に溝を切っておいたのが幸いし畑としては無理だが田んぼになら起こせる。

明日からまた天気が安定しない予報もあって早速昨日点検し終えたトラクターを出して耕す。 風はとても冷たく、防寒着を着込み目出帽で顔も覆うがそれでも寒い。

       


       
日が暮れて朝日の山が白く輝いている。 今年の夏も水の心配はなさそうだ。

夕方も遅く県の普及改良所の西瓜担当の N さんが尋ねてきた。 今度の移動で富山へ行くことになったとわざわざ挨拶に来られたのだ。

公務員の人事は先日来新聞に載っていたのは知っていたが、関心はなく見ることもなかったので・・

ただ、Nさんは3年、その前任のKさんは4年と僕らの感覚で言えば短い。

一口に担当と言っても、なにかお膳立てしたりマネージャー的な事であればそれでも良いが、技術担当である普及所の職員が特異な栽培の作物に3年や4年関わったくらいでは指導する側には立てないのではと正直思う。

年配の方なら必ず言う 「机上でしか語れない奴らに何が分かる」 と。

事実40年50年と培った技術が一端の職員を育てていくのは何処の世界でも同じことなのだろうが・・・

県も農協も人を職人をエキスパートを育てる気はないのだろうなぁとこんな事がある度に思う。

それでも僕は随分とお世話になった。 前のKさんにもそうだったが、常に迷い悩み色んな質問を投げかけてばかりいたように思う。

ありがとうございました。

皆さんには何に見えますか

2009-03-30 21:52:15 | 日々の暮らし
今朝西の空にとてもユニークで夢のある雲が浮かんだ。

       

       
ドーナッツのようなと思ったら尻尾が付いて鯨のようにも見えて(笑。
時間にして5分ほどだった。直に形は崩れていったけど何かとっても得したような幸せな気持ちになった。

同じ頃南東の空では負釣山の雲の沸き上がりが面白く

       

もう少し南では僧ヶ岳を呑み込む様に黒雲が迫り

       
こうやって空を眺めていても飽きはこないところが田舎の良いところ(笑。

さて、相変わらず気温の上がらない日が続くが頃合をみて播種に取り掛かった。

       
とりあえず1000粒蒔く。 天気は予想ではこの後回復し4月の10日頃まで晴れのよい日が続くのだが、あくまで寒だめを元にした予想であって実際はどうなることやら

それでも準備だけはと風の止み間を待って二回目の石灰の散布を行なった。

仮畝はまだ柔らかく足が沈むが、日に日に乾いてくるのが分かる。乾燥した晴天が4日続けばいいのだが(望。

長く生きるってことは

2009-03-28 09:41:34 | 日々の暮らし

ここ数日冬に逆戻りだ。 つい先週までは桜の開花が以上に早く・・なんて言っていたのにだ。

       
早い年なら今頃本畝作りが終わりマルチ掛けをしていたものなのに、自然にはやはり勝てない。

畑も田んぼも出来ないからこの間に機械の点検や加工等を手掛ける。

僕らの様な小百姓は機械の入れ替えはそうそう出来ないので修理などをしながら出来るだけ長く使うようにしている。

それでも、エンジンを載せ替え部品を取り替えては使ってきた管理機の寿命が近づき、買い換えることにした。

小さな管理機とはいえ結構値段も高く僕にすれば一大決心な事であったが作業中にトラブったらそれこそ事なので思い切った。

そんななか昨日は時間を作って実家のバアチャン(母)を久し振りに見舞った。

僕の家と実家は車で5分ほどもあればの近さだが、僕の哲学もあって(苦笑、滅多なことでは訪れることはない。

お盆以来のバアチャンはベッドで横になっていたが僕が顔を見せるとそれでも起き上がってベッドの縁に掛けて話す元気さを見せた。

89歳になったバアチャンは義姉さんに言わせれば時々ボケが始まってるようで、話していても今の状況が把握できていないところがしばしば見受けられた。

だが、ボケ特有なのか、昔のことは鮮明で随分と昔話に花が咲き僕も忘れていたことなどを懐かしく思い出したりした。

そんなバアチャンが帰り際に「寂しい」と言った。 

兄弟姉妹の真ん中に生まれたが皆男運にも恵まれず、姉妹は皆早くに旦那さんに先立たれ僕の父が61で亡くなったのが一番の長生きだったし、兄弟も早くに亡くなった。

その兄弟姉妹も皆この世にはいなく、語る相手がいなくなったのが寂しいと言うのだ。

村の友達もいなくなりディサービスに行くのが唯一の楽しみであったのも体調を悪くし最近はご無沙汰してることも尚更にそう思わせているようだ。

今実家では曾孫が産まれ、義姉さんが子守している。 
バアチャンに姉妹や友人はいなくなったけど新しい命が生まれてくるからそれに喜びや楽しみを見出せばいいじゃないかと慰めたのだが

そうやねぇ、と言ったバアチャンはそれでも寂しそうにまた横になった。

元気で動き回れる間は長生きもいいけど、体が弱ってきたら長く生きるってのも容易なことじゃないんだなぁ・・・


 


お天道様に背中を押されて

2009-03-24 23:56:15 | 農作業
三日と続かない天気に晴れ間は貴重な時間。 明日から四日程は冬型に戻りそうとのことで二回目の有機肥料を撒く。

       
明るくなるのを待って肥料の配置をする。 安定しない天気では前日に段取りが出来ないのだ。 そのため晴れたら待ったなしで優先順から始める。
       
       
予め立てておいたペナントは肥料を撒く上でも大事な羅針盤だ。 風向きによって撒く方向を見極め、その強さによっては撒くのを見合わせることだってあるのだ。

何しろ有機肥料は臭いし汚い(苦笑、よって身体に匂いが沁みつくのだから。

朝食前に済ませ家へ帰ったら田んぼの肥料が入荷した。 土壌改良材で定期的に土壌診断を行い実施するのだが、明日からの天候の崩れを考え急遽今から撒くことにする。

       
トラクターの後ろに取り付けたお釜の様なブロードキャスターと呼ばれる容器に入れて広く散布する。 これもやはり風が強いとにはきれいに撒けないし、なんと言っても雨だと撒けないから晴れてる今日が最良の日と朝食も後に回し急いで取り掛かる。


田んぼの肥料もどうにか撒き終えた午後には先日から始めた育苗ポットへの土詰めを終わらせることに。

       
手にしたポットと呼ばれる鉢型容器を専用の型枠に収め
       

肥料を混ぜ合わせて出来上がった土をポットに入れていく。
       

詰められた土を指の腹で適度な硬さに押さえておくことでポットから出したとき崩れない。      
       

詰められたポットは温床線を敷いた育苗床に並べて完了。 
       
あとは数日後に芽出しして伸びた稚苗を植えられるのを待つだけ。 種の芽出しは今後の天候を探りながら進めていく。

敬って拓郎様

2009-03-22 23:48:40 | 日々の暮らし

長くは続かないが晴れれば初夏の様な好天に春作業は進む。       
       
朝一番に冬用に植えてた大根のトンネル掛けを外し残りを掘り取る。                                                                                                                                                        

       
      大根は洗って漬物用に干す。

終わって春起こしを前に田んぼのグロ出しをする。 田んぼの角(コーナ)は機械が完全にカバーできない為こうやってスコップで掘り出しておいてやることでトラクターを入れたとき耕し残しがなくなるのだ。
        
もちろん隅まで苗を植えることはないのだが、そのままでは草も伸びるし田んぼ全体万遍に耕し均平にしておくことに越した事はない。
        

同時に田の畦塗りも昨日より始める。 所によっては水を引き入れて泥田にしてから畦塗りをするところもあるのだが、壁土ではないので乾田の状態で行なう。

       
バアチャンが古い畦を削っていく後から僕がトラクターのタイヤで踏んでモグラの穴を塞いでいく。

更にその後からバアチャンが土を盛っていき、最後僕が腰と足を使い踏み固めていくのだ。

       
今時にすれば大変に骨の折れる作業で、始めは大規模農家に機械でやってもらうよう頼もうと言っていたのだが、ボツボツやると言うバアチャンに押し切られ僕のほうが渋々後に付いていってるのがホントの話し(苦笑。

そして今日は町内一斉の江切りが行なわれた。 用排水路の清掃で、田んぼの春作業の前に毎年今時分行われる。

人によってはこの作業をスタートに我が家の田んぼの準備に取り掛かるわけで大事な作業だ。

終了後には慰労会を兼ねてお酒を飲みながらの懇親会を開くのが慣例で、本作業以上にこちらも絆を深める大事な行事となっている。


そんな日々、楽しみにしてた「復活 吉田拓郎」が今夜Bsで放送された。

「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」から「結婚しようよ」と歌は変わってもフアンであり続け憧れてきた拓郎。

歳を重ね大病を患ってもその声も容姿も衰えることがない。 さすが青年とは言えなくなったが、還暦を過ぎたオヤジなんかには見えず、どうして格好よすぎるじゃないか。

永遠の不良中年であって欲しいと思ってきたのだが、ここ何年もの間に随分と優しさがにじみ出て円くなった様に思うのだが、それでも格好よく映るのはその生き方からか。

中学生だった頃に知ってから ん拾年(笑、拓郎の様な生き方は僕にはできなかったし真似もできないが何故か拓郎の歌を聴くと孤独感や寂しさが消えていた。

上手く説明もできないが、気持ちが萎えているときでも仄かに内に奮い立たせる力をもらうようなものでそれは決して外に向かって吼えるものではなく、つい他人と比較しようとする心の弱さを諭し、大丈夫だよと言ってくれるのだ。

敢えて農業経営よりも農のライフスタイルに浸りそこに生き甲斐なり幸せを求める者にとって拓郎の詩はなんとも心地よく、親の愛情のようにも思えるのだ。

       

 


春というか初夏の様な空の下で

2009-03-19 21:04:26 | 日々の暮らし
資材購入で隣りの朝日町へ出掛けた際に撮った大蓮華。       
       
僕の家から車で5分ほど行くとこの様に朝日岳と白馬岳が並んで立つように見え、この様が仏様の台座の蓮の花のように見えることから大蓮華と呼ぶ。

昨日は25,5度まで気温が上がったそうで、今日もそれに負けず劣らずに暖かくなった。

チューリップの芽は7~8センチに伸びこのままだととてもゴールデンウィークまでなんか持ちそうにはない。

朝一番に風が強くならないうちにと有機肥料の第一段を撒き終えて車のスノータイヤを普通タイヤに履きかえる。 朝から暖かくこんな日は何をやってても楽しい。

忘れてたコスモスの種も蒔き再度畑へ出向く。 昨日から始めた畝間の通路の土上げだ。

       
この畝は昨年の秋に作った仮畝だ。 乾きの遅い田んぼの為こうやって一冬越すのだ。

一冬の間で雨などで流れ落ちた土を鍬で掬い畝の上にあげる。 そうやって全体が乾いたら本畝作りに取り掛かるのだ。

       
場所によってはご覧のように柔らかく、握ることも出来ない泥だ。 
畑に馴染んだ人が見ればこんなところで西瓜が出来るものかと呆れるだろう。

昨日今日夏日が続こうがそんなもんでは田の土は乾きはしない。 僕の村では大概がこんな環境だ。 

だから他の組合員と競っても仕様のないことで、遅れることをグッと堪えて、手を掛けては乾くのを待つという自分との闘いである。

待てなくなって手を出したら必ず後で痛い目に会うのは間違いないことなのだ。

そうは言っても周りの皆が畝作りを済ませ定植の声が聞こえるようになってくると正直焦る。

だからこそ尚更に今から自分をコントロールするように言い聞かせる。

「 仕事が辛かったらそこで打ち切って明日また始めればいい。 絶対ここまでと決めるのはよそう。 過去の悪かった時の実績を思い出そう。 いつ収穫するのではなく最善の植え時を待とう。」

これが今年自分に明確に打ち出したことである。  

ほんと正直言うと折れそうになるのだけれど、自然に合わせ且つその恵みも戴くという事が出来たらいいなぁと考えている。

春は別れの春でもあるんですね

2009-03-18 21:31:51 | 日々の暮らし
昨日は同級生を見送り、先だっては山へ一緒に行ったNaoちゃんがNzへと旅立った。

今度はkanaさんが転勤ということになり僕の心は今日の夕陽ほどに大きな穴があいたようだ。
       
昨日の午後に町の警察署のkanaさんが尋ねてきた。 
久し振りの訪問に正直嬉しかった。 元気にしてたのか、仕事が旨く行ってるのか色んな意味で気に掛かっていたのだ。

が、開口一番4月に移動があり高岡へ勤務となった事を告げた。

富山県を呉羽山で東西に分け、東の呉東に西の呉西と呼び西の中心が高岡市である。

同じ富山県と言いながらも僕が居るのは呉東、それもうんと東に住むものにとって呉西は皆目検討もつかないところ(笑。

手前に富山市があるため買い物なども越境して呉西に出向くことなんか滅多にない。 言葉のアクセントも微妙に違えば風土も文化も違うのではと思ってみたりする。

因みに落語家の立川志の輔師匠は呉西の人間だし柴田理恵もそうであり、室井滋に梅津栄は呉東の人。

ん?、話しがえらく本題から外れたが(汗、兎にも角にもkanaさんがその呉西の高岡へ移動が決まったのだ・・(涙。

せっかく仲良しになれたのに県の人事部は何を考えているのやら、僕らの町にとっても大変な損失だ(怒。

向こうへ行っても頑張るというkanaさんにまたしても西瓜の話しをクドクドと語ってしまった僕だったけど、夏になったら西瓜買いにくるねと言ってくれる心優しいkanaさんだった。

取りとめない会話だったけど暫らく語らい、帰り際に僕の漬物をお土産に渡した(汗。 

もっと早くに知ってたらお守りかなんかでも用意して渡してあげたかったが・・ 職業がそうだからkanaさんの会社へもっていくわけにもいかないだろうね。

昨年はそのkanaさんのお蔭で西瓜の盗難被害も極端に減った。
ありがとうkanaさん、山へも一緒に行きたかったです。

向こうへ行っても貴方ならきっと皆に好かれると思います。青春を目一杯楽しみながらお仕事にも励んでください。

それにしてもNaoちゃんといい先日の同級生といい春は別れの季節、旅立ちの季節だったんだと今頃気付くなんて寂しすぎるよ(涙。

              

同級生が亡くなって

2009-03-17 21:31:25 | 日々の暮らし
一昨日の晩だった小学校からの同級生だったM君から電話が入った。 
以前に話したのは一年前のホームセンターの中でだったように覚えてる。

いきなり電話の向こうで「元気?」と言ってきたので「元気、すこぶる元気」と答えると 「そりゃぁ良かった。 実は・・ ・」とやはり中学での同級生だったH君の突然の死を知らせるものだった。

H君とも仕事で偶々一緒になったりしたこともあったのだが、ここ10年程は年賀状のやり取りだけでご無沙汰の間であった。

で、今日葬儀が執り行われお参りさせてもらったのだが

会場に入り同級生達の顔を見つけた僕は愕然とした。 皆どの顔も一様に歳を経て相応に年輪を刻み決してこれまで描いていた素晴らしき不良中年には見えなかったのだ。

若いつもりでいた僕は同級生をマジマジと眺め、改めて自分の置かれてる現状を知る事となった(苦笑。

つまり、友人の場合は合い通じるものがあるためかお互いを年齢を感じることはさほどないように思うのだが、なにげに同級生を眺めた時に現実に気付かされる事ってあるのだと(笑。

これまで同級生の死を送るなんて事は滅多に無く、まして50代に入ってからは初めてのことである。

僕はM君の「元気?・・ そりゃぁ良かった」 以来この2日間これまでもなく思った。
これまで僕らと同年代が癌や交通事故で亡くなってもその都度不慮の事故と思ってきたのに

それが今回の様な死はいわゆる成熟した人間に起きがちなよく聞く病名だっただけに身につまされる想いだった。

まだまだ若く構えてはいたけれど、ボチボチ新聞の「おくやみ」欄に登場してくる年代の仲間入りになったのだとH君の死をきっかけに切実と思った。


ただ、・ ・それに比べ女性群はどうだったか。 黒に身を包んだ女性達のしっとりと光っていたこと。

一歩会場を出て陽光に照らし出された彼女達は以前の面影も残しながら美しくさへあった。

昔とても可愛かった彼女は成熟した美しさがあって引き込まれそうであったし、そうでなかった彼女もとても堂々として気品さへあった。

僕らは出棺を待つ間ほんの僅かな時間であったが、外へ出て談笑した。
にわか同級会と化した皆は先程までの顔と違い遠い昔の様な童顔に見えた。

山の総会を終えて

2009-03-16 23:19:55 | 山登り
村の登山隊 「小杉 トレッキング倶楽部」の21年度総会を町の宿泊体験施設である古民家「いろり館」で行なった。

総会後に懇親会を兼ねて一杯飲むのが慣例で安く泊れて遠慮が要らない「いろり館」には毎年お世話になっている。

リーダの R 君の号令の下、開会の4時間前から集合し本命の酒宴の準備に余念がない(笑。

       
今夜はチャンコ鍋だそうだ。 会にはもちろん女性会員もいるのだが、押し付けたようになるのが嫌で男の手料理にこだわっている・・と言えば聞こえもいいが、実際面白がっているのは僕ら男の方だ(笑。

今年は簡単質素にと言いながらも、他に揚げ物や煮物などに僕の漬物と姉が差し入れてくれた厚焼き玉子にチラシのおにぎり等で今回も豪華になった。

夕方5時には総会を開き つつがなく無事終了。 夏にはふるさと富山を改めて認識しようと立山三山を縦走し大日~称名へ下る山行を。 秋には昨年に続く山形で、今回は朝日連峰を訪れることに決まった。

総会が終われば秋まで僕にとっては長い長い山との別れになるわけだが、今年も皆が怪我もなく遭難もなく来年の今日を笑顔で迎えられることを願わずにはおられない。


総会が終了し、今では恒例になっている山の達人であり生き字引の佐伯邦夫さんをお招きして今回も興味深いお話しを聞かせて戴いた。

佐伯さんは富山で言うところの「みゃらくもん」であるが、事その道に入ると思想はきっちり一本通ってて、そんじょソコラのなぁなぁの「みゃらくもん」とは違うのだ。

        
話しはいきなり映画「剱岳 点の記」から始まった。 時を同じくして各山域で行なわれ、未だ剱岳ほど脚光を浴びることのない三角点測量の「点の記」を興味深く聞いた。
        
また、佐伯さんは「剱岳 点の記」 の原作者である新田次郎氏に山案内で初めて対面した際に「この男は本物の山男だ」と言わせしめた人であり、そんなことなども思いだしながら楽しく伺った。

今は一切山から退かれて久しいが、今度新たに本を出されると聞きこれもまた今から楽しみである。
        
夕方に入りめっきり冷え込んで堪らなく、話の途中で語り手も聞き手も一杯注ぎながらの講演となったが、これがかえって良かったか終わって誰かが「今日の話しは最高やった」と言った(笑。

もちろん講演が終わり鍋も程よく出来上がったところで佐伯さんを囲み、旨い酒を酌み交わし山の写真など鑑賞しながら談笑し大いに盛り上がったのは言うまでもない。

肥料散布で火傷

2009-03-13 23:19:24 | 農作業
明日から暫らくは雨か雪ということで第一回目の肥料散布を決行。

夕方からは雨と言う予報に夜明けを待って肥料の配置をする。 本来午前中で終える作業なのだが、例の後発白内障の術後の経過検査と黄斑変性症の疑いありでの観察を兼ねての診察予約が入ってるため悠著には構えてられない。

       
撒く肥料はテレビ等でご存知の方もおられると思うが、鳥インフルエンザで消毒に使われる消石灰。

古くは宮沢賢治も酸性化した土壌を改良する為使用したと言われる石灰は病気に対する抵抗力やカルシウムを補ってくれる優れものである。

ただ、問題があって、パウダー状の消石灰は少しの風でも舞い上がって衣服を通す。 身体に傷がある場合はもちろん目などに入ると非常に痛い。

畝がまだまだ柔らかい為に機械を入れて散布できず手作業となる。 これで中々に辛い仕事なのだ。

       
衣服の上から防水性のつなぎを着て、更にヤッケを着込んで帽子も二重にし防塵マスクにゴーグルで身を固め作業に当たる。

途中病院に行くため中座、シャワーを浴びて出掛ける頃には早ポツリと来て焦ったが、身体も大事とグッと押さえて病院へ(苦笑。

病院を出た頃は車のワイパーが要るほどに降ってきた。帰って直ぐに着替え再度畑へ向かった。

明日からは暫らく撒けそうな日はないし、肥料を配置した以上は撒かなければならない。

石灰は水と反応して熱を出し発火するのと濡れて固まったら撒けなくなるのだ。

       
しとしと降りの中で撒き終えたのが夕方4時ごろだった。 今日はお宮さんで春祭りの行事があったのも行けなかった。 オマケに雨で溶けて侵入した石灰で手首の部分が火傷した。

途中で気付いたのだが雨がひどくならない内にと・・ こればっかりは性分だから仕方がない(苦笑。

今日は朝もお昼も食べてる間はなかったけれど、途中でバアチャンが春祭りで作ったカイモチ(おはぎ)差し入れしてくれたお蔭で一日頑張れた。

心配事の一つだった眼科のほうも術後は経過良しで、もう一つの方も悪い方への進展は見られず治まってる様なので次回の検診は5月ということであった。

火傷した手首は傷むが、一仕事終えた開放感からか、夕食が済んでからウトウトと心地よい眠りに誘われていたのを 「こんなところで寝てたら風邪引くわよ」 と一喝され目が覚めた(笑。