悲しいことが沢山あったけれども、それでもそのことに関係なく人々の営みは永遠と途絶えることもなく続くのだ。
それは僕とて同じこと。 村の登山隊「入善町小杉トレッキング倶楽部」の総会が町の施設「いろり館」で行われ、大いに飲んで語り明かした。
そして連日西瓜の畑の排水作りに石拾い、石灰散布に育苗床作りと春本番に向けて待ったなしの日々が続く。
ただ昨年と違うのは息子がいてくれること。 被災地の事を想うと心苦しいが、今はまだどの仕事に対しても嫌な顔一つせずについてくるパートナーを得た僕の心は春爛漫だ。
3月に入り暖かくなったと思ったらまた冬に戻った。 桟俵を編む加工小屋が風雪に時折うなり声をあげてきしむ。
外は瞬く間に真っ白に覆われ、道行く車のワイパーがせわしなく動く。
こうやって少しずつだが確実に春はやってくるのだろう。
だが、一向に待ってもやってこない春がある。 先日池ノ谷で雪崩に巻き込まれた県警山岳警備隊員のMさんだ。
雪崩の危険がありヘリも近づけず、一人2140m付近に取り残されたまま10日が経った。
遺体にすがって泣きさけぶことすらできない遺族の方々の胸中を察するに余りある。
藁を編む手を止めては吹雪の向こうを見つめて心が痛む。
お前も岳人の端くれなら仲間と一緒に行って連れて来いと言われても返す言葉がないが、今となっては事故の状況が知りたい。
その時なにが起きたのか?、Mさんはどの位置だったのか?、助かった3人はなぜ?など等知りたいことがいっぱいあるが、県警のその後の発表は一切ない。
これが一般の登山者の遭難事故であったら、どうだろうか?。 救出された翌日には詳細に亘って詳らかにされ、挙句には行動の無謀さが事の重大さを引き起こしたと糾弾されるのだ。
Mさんは帰ってこない。県警は連日搬出できない言い訳を述べるだけ。
悔しく情けない。
哀しいこともあったが、それでも春はやってくる。
3月に入り息子が我が家に就農した。 以前から働きかけていた農業及びジャンボスイカの担い手として承諾してくれたのだ。
大規模農家さんからみれば、「大丈夫なのか?」と危ぶまれるほどの弱小農家。 経営的には不安もあり大変なのだが、楽しい農業を目指してる僕には程ほどがよく、大きな欲もない。
そんな僕の考えも解っての息子の賛同と決断が嬉しいといえば可笑しいだろうか(苦笑。
ともかくスタートした。賑々しくもなく、気負いもなければ取り立ててお祝いすることもなく、普段と変わらぬ会話で始まった。。