下ろした大根は沢庵漬け同様に手揉みする。 そうしないと売ってある沢庵なんかでも芯の硬いものがあったりするが、歯応えも滲み具合もよろしくない。
八つ割りから大きいものは一六割り位に切って再度天日干しに。 仕事を終えた夕方に取り込み、一口大に刻んで洗って絞り、冷ました煮汁に先ほどようやく漬け終わった。
今年は畑で越冬する大根はなく、年内にもう一回漬け込んでお終いなのが寂しい。
どうも食べ漁った様子の汚らしい写真で申し訳ないが、僕のリクエストでカミさんとバアチャンが作ってくれた「かいもち」だ。
ここらでは、ぼた餅、お萩を称して「かいもち」と呼んでいる。 外仕事の僕を、出来たから食べてと呼びに来たのはいいが、やり残しが嫌で少し遅れて入ったらご覧の有様だった(笑。
さて、今シーズン何度目かのタクアン漬けに取り掛かる。 このところの愚図ついた天気で干しあがるのが遅く、今日は先に干した赤大根と普通の青首総太の二種類を一緒の樽に漬ける。
干し加減はうノ字で、塩加減は4,5%。 甘味を少し多めに昆布も多め。
奥のコンテナは「はりはり漬け」用で、これも同じく赤大根とのダブルス。
漬物はやはり長年の経験がものを言う。 僕なんかはその都度味が定まらず、歯がゆい想いを抱きながらのくり返しだ(苦笑。
1月16日は百姓の休息日。 というか家事も一切休ませていただく日と昔から決まっているらしい。
バアチャンも今日は朝からコタツに入ってのんびりくつろいでいる。 僕は僕でこの際と家の修繕事に走る。
家は昭和のオイルショック時に建てられ平成に入って大増改築を行なったが、一部古いフロアーに剥がれが現れてきたのだ。
当時は物が無くなったり、あってもものすごく高騰したりで請け負った工務店なんかは殆んどさじを投げたような始末であったのだが、当時はそれで仕方がないという風潮もあった。
どうにか処置を済ませて11時。 のんびりしてたはずのバアチャンは畑で大根を抜き台所に立って鰤大根の準備。
それではと僕は僕で先日来から干してた大根を使ってはりはり漬けを作る。
のノ字にまで干しあげた大根を縦に八割りにして再度一日半程干して出来上がり。
醤油と酢と出しツユを同量混ぜ合わせ、そこへ出汁昆布を鋏で数ミリに刻み入れる。 同じように市販の松前漬け用のスルメを更に半分の長さに切って入れ一煮立ちさせてから冷ます。
干しあがった大根を短冊に切り、ザルで揉むようにして洗い水を切ったものに冷ました出汁を入れ、刻んだ唐辛子も一緒に入れ混ぜ合わせて出来上がり。
後はタッパに入れて冷蔵庫に。 一日置いたらひっくり返してよく漬け込むようにして2~3日目くらいから食べてます。
このはりはり漬けはカミさんも褒めてくれるが、一言多い。
「 やっぱり実家のお母さんの方が美味しいわね」 って。
僕の母は今89歳。 もう既に家事の一切はやらない。 昔食べた味が忘れられないのは分からないでもないが、ウルサイ!・・んだよ。
昨日は氷点下より上がらず、小屋にはストーブを入れているのだが僕の作業台の床下の僅かな隙間から吹き込む冷たさに作業靴を通して親指が軽い凍傷になり夕べは痛 くてよく眠れなかった。山やが何やってんだって笑われちゃうよ(苦笑。
そんな事もあって今日は一週間に一度の休みじゃないかマラソン観戦だと決め込む。 が、漬物用の大根が程よい固さに干しあがっているのを指摘され(笑、「まぁ、今日は福士加代子だし初マラソンだとはいえ余裕だろう」 と考え漬物観戦を決め込み、ゆっくりと準備に掛かる。
マラソンと同時にたくあん漬けもスタートしたのだが、ここで大失敗 なんとラジオ中継が無かったのだ。
ために、一つの工程が終わる度にテレビの前にいくことになったわけで(笑。
大根は宮重、ついたばかりの米糠に塩とザラメ、柿とりんごの皮に刻んだ昆布にしし唐とくちなしの実、後は梅酒。
大根を莚の上で両手で転がすようにして充分に揉んでおく。
たくあん床の準備に入る。糠は細かい目で篩いにかけ米粉などを取り除いておく。
ここで中継に、「さすが前評判の高かった福士だ、快調である。この分なら作業に専念できると踏む。」
塩とザラメを任意の割合で(今回は大根の重量の塩が4%にザラメが5%)糠に丹念に混ぜ合わせたものに唐辛子を入れ混ぜ合わせる。
そこへ更に刻んだ昆布を入れ再度混ぜ合わせ 一つまみして味加減をみてからくちなしの実を砕いたものを入れて混ぜる。
ここまでで米糠と他の薬味が十分に混ざり合う。
最後に柿とりんごの皮を入れるのだがハサミで細かく切って混ざり易いようにします。 おっとここで中継に走る。
「さすがというかダントツで駆け抜けていく福士の姿に苦しさは見えず」
「しかしこれじゃ面白くも無いなぁ」 と、また作業に専念。
果物の皮を細かくして丁寧によく混ぜ合わせて出来上がったたくあん床を着け樽の底に平らに少し厚めに敷いて大根を外側から並べていく。
並べ敷いた大根と大根の隙間に一緒に干した大根の葉を詰めて隙間を埋める。これで一段が終わる。
一段終わる毎にたくあん床を敷いては次の一段と進めていくのだ。
最後の一段が終わったところで残ったたくあん床を全部掛けて上から残った大根葉を蓋をするように敷く。 ヨシ、ここでまた中継だ。
「いやぁ、後続との距離が大分縮まったようだぞ、しかし表情からは疲れがあるのかどうかもチョット分からないが、マラソンはかけ引きだからなぁ」
これでも僕は子供の頃から走るのは得意で、マラソンも好きでよく走っていた頃があるんです。
こりゃぁ仕事をいそがないと
全部つけ終わった時点で上から樽の側壁に沿って流し込むように魔法のアルコールを流し込むのです。
流し込んだら落し蓋をして重石をのせる。 重石は大根の重量の2倍チョット。
「ここで福士が抜かれそうだとの報告」 直ぐに終いに入る。
重石をのせて仕上がった樽の上から新聞紙で蓋をして出来上がり。
これで一週間ほどしてから上がってきた水を上面まで取り除いて重石を半分にする。 後は一月ほどしてから食べられる。 おっと、そんなことより中継だ。
なんとテレビの前に立つか立たぬ内に福士の横を黒っぽい なんとかヤマウチっていうのが抜いていくではないか。 「福士どうした!」
解説の有森や増田がここで勝負があったようなことを言ってるではないか、一体何があったのか、こんなことだったら漬物なんかほっとくんだった。
あれよあれよという間にどんどん抜かれていく。トップをいくのはマーラ、ヤマウチというイギリスの女性で彼女がオリンピックを目指すのに協力するため旦那さんが会社を早期退職したとのこと。 日本ではありえない。
日本ではありえなくても人間として立派だ。旦那の思い込みが強くてそうなったのならいざ知らず、そこまで出来ることが羨ましいと本気で思う。
そうなってくるとマーヤにも負けてはほしくないが、それでもどうした福士よ。
やはりマラソンは経験だ、2番手以降があれだけ離されていてもその距離をズーット保ってきていたのには訳があったんだとこの時点でわかることなのだ。
40kくらいで福士は車で言ったら蛇行運転のような状態になるがそれでも諦めずに走る。
代わって競技場に入ってくるマーヤに、迫る森本 友。 外野はタイムのことを言うが、マラソンはかけ引きだ、時にはけん制しあって伸び悩む事だってあるさ。
結果マーヤが優勝した。 34歳立派なもんだが2位の森本も頑張った。
その森本を放送席に呼んどいて福士のことを話題にする小倉アナには腹が立ったけど福士が最後の最後まで走りぬいたことに今後の希望が見えてきた。
我が子可愛さからまともに見れないお母さんと違って娘の頑張りを堪えながらも最後をジーット見届けたお父さんに感動して貰い泣きした僕でした。
ところでたくあん漬けですが、これはあくまで僕の漬け方でありまして参考になるかどうかわかりません。